福澤諭吉展を観てきた |
福澤諭吉展が終了しそうだったので、週末に観てきました。
印象に残ったもの
・夫婦は結婚したら、それぞれの姓から1文字ずつ取って新姓を作るという提案が斬新だ。
・「実学」に「サイヤンス」とルビが振ってある。
・明治元年の慶應義塾の時間割。「ソシヲロジー」「ロジック」「ソーシャルサイエンス」「幾何学」「文明史万国公法」「サイコロジー」「化学書」など、興味深い科目が並んでおり、そそられる。明治元年の社会学とはどんな内容だったのか。文理が融合したリベラルアーツ的なカリキュラムなのも良い。
・「練習は不可能を可能にす」小泉信三
・早慶戦は明治36年に早稲田の野球部が慶應の野球部に挑戦状を送ってきたのが発祥だと知る。しかも文面は、早稲田の野球部は弱く選手も幼稚なので、強い慶應の御教示にあずかりたいというやけに控えめな文章で笑えた。
・伝説の特攻隊員、上原良司の遺書「所感」の本物が見られるとは思わなかった。しかし本物を展示してあるだけで読みにくい。これは文章を張り出したほうが良い。私は彼の遺書は全文を石碑に刻んで日吉キャンパスの入口に置いて欲しいと思う。
・戦時中の日本では福澤諭吉は国賊扱いだったと書いてあったが、なぜかわからない。
・福澤諭吉は官尊民卑を嘆いたが、今も変わらないのは情けない。
・福澤諭吉は今でこそ偉人だが存命時は随分叩かれてもいた。
・脱亜とは古いアジアを脱し文明化を目指すという意図で、アジア侵略の意図ではない。その証拠に福澤諭吉は朝鮮の若者を支援していた。金玉均から福澤諭吉に寄せられた書では、福澤諭吉が名誉に固執しないため世間での評価が低いと書かれていた。
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