ありえない感動。函館名物!北島三郎記念館 |
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函館名物、北島三郎記念館に行ってきました。正直、入場料1500円は高いんじゃなイカと思ったのだが、入ってびっくり。
まず、ガイドのお姉さんに案内されて、北島三郎の生い立ちをたどる。知内町で網元に生まれた大野穣(みのる)少年は、裕福で恵まれた子ども時代を過ごしたが、やがてニシンが取れなくなり実家は没落。7人兄弟の長男として、中学卒業後は働こうとするが、勉強がよくできたため、中学の教師が両親に頼みこんで、名門函館西高校へ進学する。両親は大切な船まで手放した。
渡島知内駅を朝5:28の一番列車で函館に通学する大野穣少年。窓には両親の顔が浮かぶ(どんな演出だ)。歌が得意な大野少年は、歌手としてスターになり、「親孝行をするために」(!!)東京に行くことを決意する。
反対する両親を説得して、18歳で上京、列車の次の部屋は青函連絡船羊蹄丸の甲板で、雪が降ったり、夕陽になったり、遠く故郷の大地が見えたり、「私が故郷を離れたのは……」ナレーションが北島三郎本人だったりと、涙ぐましい演出。今でも北島三郎は年に5・6回帰省するそうですが、この部屋に来るたびに、「おやじ、おふくろが生きているうちに、この記念館を見せたかった」と語るそうです。
次の部屋は、昭和30年代の渋谷の場末の飲み屋街が再現されています。18歳から25歳まで、北島三郎はここでギターの弾き語りをする、苦しい下積み時代を過ごします。3畳一間のリアル神田川アパートでの暮らし。大家の娘さんと親の反対を押し切って23歳で結婚。まさに演歌だ。
次の部屋からは、26歳でデビューしてからの歌手活動の栄光の軌跡で、全シングルレコード、CDジャケットが並べられた派手な部屋。ここでも数々のエピソードを聴く。そして最後は3階のシアターで北島三郎ロボによる迫力のオンステージ。「今、公演を終えたばかりの北島が、皆様をお待ちです」と案内されて最後に連れて行かれた部屋では、ブロンズ像の北島三郎と握手。手を握ると「今日はありがとうございました、ハハハ」と本人の声が流れる。
(写真)怒濤の演出に思わず真顔になってしまった私
正直、記念館、博物館、美術館などのミュージアムの多くは、「金返せ」と思うようなショボイ場所がとても多いのだが、北島三郎記念館は、そのエンターテインメント性の高さ、ホスピタリティ精神において、多くのミュージアムが見習うべき、すごい施設だった。
(写真)青函連絡船摩周丸から函館山を見る
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