村八分と教育改革 |
「別の学校行けば」ノートルダム清心で担任が“いじめ”?
http://dot.asahi.com/wa/2016021900056.html
巨大組体操や柔道でケガをする子は、「理想の教育をやっているのに、失敗して和を乱す逸脱者」だと思われていないか。二分の一成人式や部活顧問制度に反対する教員も、理想の教育からの逸脱者として排除の対象になっていないか。一気飲みで亡くなる大学生も「和を乱す逸脱者」にされていないか。
自分とは異なる意見を、「人格攻撃」と考えてしまうのは、私たちの被害者意識が強いのと同時に、明確に人格を攻撃するのが目的で異なる意見を言う人がいるからでもある。
村祭りや大規模な農作業といった、共同で何かをしなければならない村社会で、集団からの逸脱者の存在は、村全体の滅亡につながりかねないため、村八分として排除の対象になる。新しいことを提案したり、今やっていることを批判的に指摘する人は、村を滅亡させる人だと恐れられ、排除される。
明治維新とか、戦後の農地改革とか、シャープが鴻海に合併されるとか、個人では抗えない巨大な力によって無理やり組織がひっくり返されるとき、村の論理を超えた改革が実現する。そういう意味では、2020年の入試改革は、教育を変えたいが抵抗される人にとって、ポジティブにとらえられる。
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