ハイデルベルク大学 |
ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州にある人口14万人の街ハイデルベルクに、ハイデルベルク大学(Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg)はある。1386年、プファルツ選帝侯ループレヒト1世によって創立されたドイツ最古の大学で、ヘーゲル、マックス・ヴェーバー、ハーバーマス、ヤスパースなどが教鞭をとった。
ライン川の支流、ネッカー川沿いにある中世の街並みと、山の中腹にあるハイデルベルク城を眺める対岸の小道は美しい景観を楽しめる気軽な散歩道で、多くの哲学者たちが思索しながら歩いたであろうことから「哲学の道」と呼ばれている。京都にもあるがおそらくこちらが本場だろう。
私はフランスのパリ東駅から国際急行「モーツァルト号」ウィーン行きに乗り、ストラスブール経由で5時間かけてドイツのハイデルベルクへ来た。ハイデルベルク駅から路面電車でビスマルク・プラッツに行き、中世の古い町並みを歩いて10分程で到着した。
最も古い校舎「旧館」はバロック式建築で1712年建造。1886年の大学創設500周年(!)記念にできた講堂「アウラ」はキリスト教美術館のような華麗な装飾だった。この大学は観光地として名高く、特に有名なのが学生牢(シュトウデンテン・カルツァー)である。
独自の大学法により治外法権の大学内では、学内の犯罪も大学自身によって裁かれ、学内で不正行為を働いた学生は2~4週間「学生牢」に監禁された(1914年まで使用)。6畳間に机とベッドがある。意気盛んな学生は牢に入れられることを名誉と考えたようで、壁は落書きだらけだった。ここは入場料を払って見ることができるが、とても面白いので是非ハイデルベルク大学へお越しの際は見ていただきたい。
現在9学部3万人がこの大学で学んでいるが、人文系をのぞくほとんどの学部は郊外の近代的なキャンパスに移転している。それでも旧市街の大学は精神的には大学の中心であり続けている。1903年建築の大学図書館は地下1階、地上5階建てでエレベーターもある。この図書館はパリ大学と違い誰でも入れる。ただし、大きい荷物はコインロッカーに入れて入館する。
ドイツ語の本が中心だが、貴重な古写本も収蔵している。ただし、中世の戦争で戦利品として神聖ローマ皇帝によってヴァチカンに運び去られた大量の古書は未だに返還されていない(いつの話だ)。蔵書検索用PCも多く、インターネットもできるが日本語のページは文字化けで読めなかった。
なお、ハイデルベルクでは学生食堂を発見。ドイツ料理の数々を味わったが、メニューは日本よりも少なく軽食程度のものしかない。それと、学食に隣接してインターネットカフェがあるのはいいが営業時間が短すぎる(10:00~14:00)。
ちなみにこの大学には、私の著書『真実の大学案内』が収蔵されている。街で捕まえた日本人留学生の意見に従って、大学付属図書館ではなく、東洋学部日本学科の学科図書室に寄贈したもので、寄贈に際し日本学科のDr.Wolfgang Seifert(ヴォルフガング・ザイフェルト)教授には多大なご尽力を賜った。教授はドイツにおける丸山眞男研究の第一人者だそうです。