成城大学 |
柳田國男とフォークロア 成城大学見学記
柳田國男といえば、日本の民俗学の創始者として、あまりにも有名である。
1927(昭和2)年、小田急の開通に合わせて東京府北多摩郡砧村(現成城)に転居した柳田國男は、旧制成城高校、新制成城大学で度々講演を行い、1957(昭和32)年には成城大学文芸学部顧問に就任、自分の設立した民俗学研究所が諸事情により解散に至ったため、蔵書を成城大学に委託し、「柳田文庫」と称した。
翌年(1958)、成城大学では柳田の要望に応え文芸学部に文化史コース(柳田による名称)を設立、後に文化史学科となる。1962(昭和37)年に柳田は逝去したため、遺言により蔵書は成城大学民俗学研究室に寄贈され、その後、1973(昭和48)年には成城大学民俗学研究所が設立された。柳田宅は成城大学からわずか徒歩3分で、現在もご家族がお住まいになっている。
成城大学民俗学研究所は、日本の民俗文化の研究・調査、「柳田文庫」等の図書の管理と整備、民俗資料の蒐集、内外研究者との交流、講演会、展示会の開催等の事業を行っている。民俗学研究所の蔵書は約7万7千冊(雑誌含む)、スタッフは教員(併任)、職員約40名、柳田國男寄贈の「柳田文庫」は蔵書中の約3万7千冊を占め、民俗学を中心に歴史・宗教・人類学・郷土史等の蔵書が充実している。書籍は閲覧のみで貸し出しはなく、成城大学関係者と許可を得た者のみが閲覧可能。私は成城大学のオープンキャンパス時の特別展でこれを見学、膨大な書籍は大半が閉架書庫だが、開架書棚には各地の市町村史や民俗学関係書籍が非常に充実しており、たとえば「遠野」というタイトルの本が百冊ぐらいあるというような、類稀な環境に圧倒された。
柳田國男と関係者の残したこの偉大な遺産を、存分に生かす事のできる、非常にめぐまれた環境にあるのが、成城大学文芸学部文化史学科である。
一般の大学の史学科は、主として日本史、東洋史、西洋史などに分類されたコースで学ぶ。これに対し成城の文化史学科は、日本史学、民俗学、文化人類学の3つの柱で構成されている。オープンキャンパスで教授にお話をうかがったのだが、文化史学科以外だと、たとえば西洋史に関心があればヨーロッパ文化学科、美術史なら芸術学科があるため、いろいろな学生の要望に応えられる。東洋史は学べないが、それは別の大学にあるわけで、基本的に文化史学科は日本の歴史と民俗文化を学ぶ環境に特化していると考えて間違いはない。ただし文化人類学の教授に師事すれば、世界の諸民族の文化なども比較研究する機会に恵まれる。
民俗学を専門にやる大学は非常に少ない。柳田は國學院で教鞭をとったこともあるが、國學院はあくまでも史学科である。東京教育大学文学部(≠現筑波大学)は、かつて民俗学の一大拠点であったそうだが、ご存知のように筑波移転で組織が大きく変わっててしまったので、民俗学研究の環境としては成城はオンリーワンの大学となったと先生は語った。
学問の世界では、民族学(エスノロジー・Ethnology)と区別する意味で、民俗学をフォークロア(Folklore)と呼ぶ。成城のフォークロアはフランスのアナール学派(*1)の影響を受けており、既存の歴史学と違う新しい歴史学を標榜している。現在歴史学の分野は「社会史」に関心が集まっており、これを以前から専門にやってきた成城大学は、非常に注目されてきている。ただしそれは歴史学会など先生の世界であって、受験生の関心は低いし理解も足りない、そこが問題だ。
従来型の歴史学の手法は、文献資料重視である。井沢元彦は『逆説の日本史』で読者が引くほどの勢いでそれに対して激しい怒りをぶつけている。すなわち「紙に書かれたものだけを頭ごなしに信じていては歴史の実像は見えてこない」と。民俗学はこれに対し、「活字になっていない資料」を使うことがある。すなわち、柳田の『遠野物語』のように、民間伝承を取材して話を「聞く」ほうから歴史にアプローチする。フィールドワーク型の文化人類学もそうだが、図書館にこもってひたすら資料と向き合うよりも、行動したり取材したりする研究のほうが、私の性分には合っている。そう思うと、民俗学という歴史へのアプローチは、なかなか魅力的である。
日本史を学べる大学はいくつもあるが、民俗学を専門的に学べる大学は少ない。そのあたりがわかっている受験生は、偏差値に関係なく成城に来るそうだが、大半はなんとなく日本史が好きで成城の文化史学科に入り、入学後に民俗学や文化人類学の面白さを知るという。学科教員も「日本の祭」をテーマにした先生や「地域社会における伝承文化」などをテーマに研究する先生など、ちょっと複合的な歴史学という感じだ。
ここはまた、大学院が面白い。文学研究科日本常民文化専攻という。「常民」とは大衆・庶民とほぼ同義語。本来は「常民」に対する山人(≠先住民?)というカテゴリーもあるらしいのだが、現在は「日本人の文化」という意味で用いられている。「柳田國男が命名したので名前を変えられない」と嘆く先生もいるというのは裏話だが、変に受験生に媚びないのがさすがに大学院である。大月隆寛(*2)がここの出身。彼は『民俗学という不幸』という著書でこの学問の問題点を考察しているので、ただ「柳田國男の民俗学って面白いなあ」という印象しかない人は、批判的な視野を持つべく目を通しておいたほうがいいかもしれない。この分野ではほかに神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科が高名である。
:参考資料
成城大学民俗学研究所要覧 成城大学民俗学研究所
柳田民俗学と黎明期の人々 成城大学民俗学研究所
成城大学・成城大学短期大学部大学案内2004 成城大学入試広報部
(*1)フランスの歴史学雑誌『アナール』を中心として、ゆるやかな結束のもとに形成された歴史学派。『アナール』はマルク・ブロックとリュシアン・フェーブルが1929年に創刊した雑誌で、「アナール」とは「年報」という意味。はじめは『社会・経済史年報』として刊行され、現在は『年報-歴史・社会科学』と改称している。アナール学派は単なる「歴史学」を超え「社会史」として社会科学的に歴史を考察しようとした手法で、人文社会・自然科学の総合という野心を抱いた「新しい歴史学」として注目されている。社会史は、近年世界の歴史研究において枢要な位置を占めるようになった歴史研究の潮流で、現代歴史学への道をひらく第一歩となったものとも言われる。従来の国民国家を前提にした「国民史」の枠組みに捕らわれず、その視野は権力や国家の問題を問い直そうとするところにまで及んでいる。歴史学の姿を借りているが、現代世界を見つめる学問ともいえる。
(*2)1959年生まれ。民俗学者。早稲田大学法学部卒業。成城大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。『民俗学という不幸』では、本来現実に生きる民衆の姿を活写するものであったはずの民俗学が、研究室の学問に変わり果て、学問ごっこに安住する若い学者が量産されていった過程を暴露している。
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