ベルリン・フンボルト大学 |
ベルリン・フンボルト大学 Humboldt-Universität zu Berlin
1810年設立 学生数 約3万2千人
在学した著名人(学生・教員) アインシュタイン、マルクス、ビスマルクなど
http://www.hu-berlin.de/
基礎科学を愛するこのたまらない学部構成は圧巻。
法学部
農・園芸学部
第一数学・自然科学部(物理学、生物学、化学、薬学)
第二数学・自然科学部(数学、情報学、心理学、地理学)
医学部
第一哲学部(哲学、歴史学、図書館学、ヨーロッパ民族学)
第二哲学部(外国語学、ドイツ学)
第三哲学部(社会科学、アジア・アフリカ学、文化芸術学)
第四哲学部(教育学、リハビリテーション学、スポーツ科学)
神学部
経済学部
フンボルト大学の校舎はドイツ帝国時代の宮殿を使っている。ゼミ室、PC室、図書館などはそれぞれ別の建物。大学からフリードリヒシュトラーセ駅を挟んで徒歩5分の所にフンボルト大学日本学科の付属施設である森鴎外記念館がある。月~金の10:00~14:00と開館時間が短いが、入場無料で、森鴎外の実際に住んでいた部屋が再現され、森鴎外の娘がフンボルト大学の学長に宛てた手紙や、著書や、「舞姫」の原稿などが展示されている。ほかにも日本語の新聞が読めたり1988年に映画化された「舞姫」の写真があったり(森鴎外役が郷ひろみ)なかなか面白い。入場無料だがフンボルト大学も苦しい経営を強いられているのでおみやげにフンボルト大学グッズを買って差し上げてください。それと、館員は日本人ですので安心です。
森鴎外記念館から徒歩10分ほどのところにはフンボルト大学日本学科の校舎があり、4階建てで中には教室、研究室、図書室などがある。図書室はかなり充実しており、寄贈すべき自分の本が手元にないのが惜しかった。教室では授業で日本語を学ぶ学生がいて、ビデオをみて一生懸命会話を発音している。
再現
「すみません、上田一丁目はどちらですか?」
「この角を右に曲がって、3つ目の信号を左です」
「ありがとうございます」
こんな感じの会話を先生(ドイツ人)が読んで学生達が変な発音で練習している。なんか笑える風景だが、自分達もそうやって英語を学んでいたわけだし、こんな極東のマイナー言語を学んでくれるフンボルト大学の学生には深く感謝してしまった。
ベルリンの壁
ベルリンは雪で歩きにくかった。ホテルのあるツォーロギシャー・ガルテンから鉄道でフリードリヒシュトラーセ駅に行き、歩いてベルリン大聖堂を見に行くと、鐘が鳴り響いていた。中には10mぐらいの巨大なパイプオルガンがあり、私が入った直後にいきなりミサが始まって私以外の人が全員聖書(?)を持って賛美歌を歌い始めてびびった。聖歌隊によるドイツ語のアカペラ賛美歌もタップリ聴かされてとってもプロテスタントまみれになってしまった。
教会を出て、「ノイエ・ヴァッヘ」を見る。ここは戦没者祈念堂で、日本語の追悼文もあり、警備員がいる。石造りの部屋の中には死んだ息子を抱いた母親の銅像があり、花が手向けてあった。銅像の部分だけ意図的に天井が無く、そこだけ雪が降り積もる様子は鬼気迫る美しさだった。
【追悼文】
ノイエ・ヴァッヘは戦争と暴力支配の
犠牲者を追悼し
記念する場所である。
我々は追悼する、
戦争によって苦しんだ諸民族を。
我々は追悼する、迫害され、
命を失ったその市民達を。
我々は追悼する、
世界戦争の戦没兵士達を。
戦争と戦争の結果によって
故郷において、また捕虜となって、
そして追放の際に命を落とした
罪なき人々を。
我々は追悼する、
幾百万の殺害されたユダヤ人達を。
我々は追悼する、
殺害されたシンティとロマの人々を。
我々は追悼する、
血統や同性愛の故に
或いは病気や身体の弱さの故に
殺されたすべての人々を。
我々は追悼する、
生きる権利を否定されて
殺害されたすべての人々を。
我々は追悼する、
宗教的或いは政治的な信念のために
死ななければならなかった人間達を。
我々は追悼する、
暴力支配の犠牲となり
罪なく死を迎えなければならなかった
人々を。
我々は追悼する、
暴力支配に対して抵抗し
その命を犠牲にした
女達や男達を。
我々は讃える、
良心を曲げるよりはむしろ
死を受け入れたすべての人々を。
我々は追悼する、
一九四五年の後に
全体主義的独裁に反抗し
迫害され、そして殺害された
女達や男達を。
地下鉄に乗り、コッホシュトラーセ駅で降りると「ベルリンの壁博物館」。まさに壁があった所に博物館があり、検問所が残っている。博物館は写真や映像が中心だが、それらを見ていると冷戦というのが随分遠い時代のような気がした。そこから徒歩5分の所には壁が残っている。壁の絵は削られて売られている。他に壁が残っている所はほとんどなく、今や東西ベルリンの境はほとんど分からない。ブランデンブルク門は改修中で絵にならなかった。ジーゲズゾイレ(戦勝記念塔)は綺麗なので見に行こう。
ジーゲズゾイレ 黄金の天使像
ベルリン工科大学 Technische Universitat
フンボルト大学には工学部がない。そのかわり(?)ベルリン工科大学がある。1879年にロイヤル・テクニカルカレッジとして誕生。6学部55学科に30,600人の学生、留学生も5,750人いる。キャンパスはフンボルト大学の何倍も広く、近代的な高層校舎が林立している。校舎の中に昔っぽい中庭を復元してサモトラケのニケが飾ってあって渋かった。さすが理系、日曜なのに学生が多かったが、カフェテリアが閉店していたのが残念。
帰国予定日に雪で飛行機が飛ばす、ベルリンで1日足止めをくらいましたが、おかげでテレビで「風雲たけし城」を見ることができました。
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