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![]() 中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか (ディスカヴァー携書) 新品価格 1)北京大学には「元培(ユアンペイ)学院」という特別選抜コースがある。思想家の蔡(ツアイ)元培にちなんだ名前で、定員は150~200人。各種試験の上位者から選抜され、特定の学部学科には所属せず、一般の学生のような履修規定もない。専攻を決めるのは3年次(一般学生は入学時)。 2)2年間は自由に興味がある授業を受け、指導教官と相談し、自分の適性を考えて学科を選べる。指導教官は北京大学の全学部から選抜された51人の教授から、学生自身が選ぶ。授業や専攻の選択、勉強の仕方、研究活動の方法について指導が受けられる。各界の名士の学外指導教官もいて、進路を助ける。 3)元培学院の学生は海外留学でも優遇されている。イェール大、スタンフォード大、ニューヨーク大、UCLA、シンガポール国立大などの提携校に、希望すればいつでも交換留学生として留学できる。また、北京大の学生寮でも、世界からやってきた留学生と2人1部屋で暮らす。 4)ここの学生は、思想的にもエリートでなければならない。4年間のあいだは、政治思想教育、共産党員活動、生活管理など多方面にわたって大学の徹底した統制・管理のもとにある。これはアメリカのエリート教育との大きな違いだ。 参考文献『クーリエ・ジャポン』2011年7月号 ![]() COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2011年 07月号 [雑誌] 新品価格 ![]() (写真)魯迅墓 3月4日(火)くもり 上海外国語大学を見学した私と周さんは、続いて魯迅公園に行った。魯迅公園には魯迅の墓や記念館があるが、広いのでなかなかそこまではたどり着けない。公園内は老人たちのレクリエーションの場になっており、日本では有料でテレビで販売されているような健康器具が公園にいくつも設置されていて、老人たちはガヤガヤとおしゃべりしながら朝の運動をしていた。 太極拳をしている老人軍団、胡弓などの楽器を弾いている老人の集団、大きな筆を持ち、石畳の上に水で書を書いている老人たち。バトミントンをしている人々……。中国の老人たちは、みんなで公園に集まって、楽しい老後を過ごしている。周さんいわく、「中国政府は、老人の鍛錬を重視して、こうした無料の設備を作っています」とのこと。公園での街頭芝居、外でのカラオケなどのほか、「老人大学」と書かれた生涯学習講座のポスターも貼ってあった。将棋やトランプをしている老人の集団もいた。 私はこれを見て、なんて日本は老人を孤独にする国だろうと思った。生産しなくなった老人を、まるで邪魔者扱いだ。上海の老人たちは、公園に来れば、スポーツでも文化・芸術でも、仲間たちがいる。しかも無料なのだ。日本はこうした「老人のネットワーク」を政策的にはまったく作っていないように見える。公園に一人で行ってもさみしいだけだ。上海の老人たちの生き生きとした姿は、私には非常に印象に残るものだった。 魯迅の墓参りをしたあと、魯迅記念館に入る。立派な建物だったが入場無料だった。一部には日本語の表示もある。周さんは「小学生の頃から教科書で魯迅を読まされてうんざりしていましたが、大人になって読み直し、価値が分かってきました」と奥深いことを言う。夏目漱石のような感じだろうか。 魯迅記念館の収蔵品や歴史のパネル展示などを見ていたら、一角に「内山書店」という看板を掲げた小さな書店が再現され、中で魯迅の本やおみやげグッズを売っている。これは戦前の上海で内山完造という日本人が経営していた書店を再現したものだ。大正末期から昭和初期の内山書店は上海の文化人たちのサロンとなり、とても賑わったという。 昭和6年の上海事変の時には、命の危険にさらされた魯迅をかくまった。この時は日本人、中国人の両方から睨まれたのに耐えたというから、相当な根性だ。昭和11年の魯迅の死の際には、葬儀委員も務めた。戦時中も日本軍に捕まった上海の文化人を救出したりした。戦後は日中友好協会の理事長になる。昭和34年死去。今でも神田神保町には、弟の経営した内山書店がある。 日本人でもほとんど知らない内山完三、しかし上海の人々は、魯迅と彼との熱い友情を知っていて、こうして記念館にそれを刻みつけてくれたのだ。上海万博を見に行く人はぜひ魯迅記念館の内山書店にも足を運び、日中友好に生涯尽した偉大な先人の遺徳を偲んでほしい。 3月4日(木)くもり
今日はまず午前中は魯迅紀念館と魯迅の墓のある魯迅公園を見に行くことにしているので、地下鉄の虹口足球場駅で周さんと待ち合わせ。巨大なサッカー場の建物の前では、おじさんおばさんが集まってダンスをしている。これは朝の太極拳と同じで中国名物だ。 周さんと合流し、魯迅公園に向かうが、何と道路の反対側にいきなり上海外国語大学があるではないか。これは計算外だ。しかし日本の観光ガイドブックの地図は大学の場所が記入されてなくてかなわんなあ。 ![]() せっかくなので上海外国語大に入ってみる。ただし周さんによると、上海外国語大の学部教育は松江大学城に移転し、ここには大学院が残っているだけらしい。とはいえ、大学の本部はこちらのままだそうだ。 市街地のキャンパスではあるが、敷地には緑もあり、校舎も高層ビル化されている。学生寮も隣接し、ちょうど朝食の時間なので、飲食店街に学生がぞろぞろ出てきて食事をしている。中国の学生は自炊せず3食とも外食の人が多いそうだ。 上海外国語大のキャンパスを歩きながら、周さんに中国の大学受験の話を聞く。中国は日本で言うところのセンター試験一発勝負であり、大学ごとの入試はない。それで各大学に入試課がなくてパンフレットがないのか。受験科目は、 国語 150点(言うまでもないが中国語のこと) 数学 150点 英語 150点 物理 150点 総合 30点 (この「総合」とは、物理、化学、政治、歴史、地理、生物の総合的な問題) 以上630点満点で、全科目を受験しなくてはいけない。日本のように文系科目だけとか、面接だけという入試は存在しない。 そして、各大学はこの試験で受験生の足切りをする。すなわち、上海ナンバーワンの復旦大学は、500点で合格、上海外国語大学は、480点合格、といった具合だ。これで大学の序列が厳格に決まる。周さんの母校、上海立信会計学院は、周さんの入学時は420点だったが、現在は460点を要求し、上海大学の450点よりも高い。「だから私の母校は上海大学よりも上になったのです」と周さんは胸を張る。わずかな点数で決定的に大学のランクに差がつく、日本以上に厳しい。周さんも当然復旦大学を目指したそうだが、この点数の差を埋めるのは困難なのだろう。何せ全中国の高校生が競うのだから。 現在の中国は私立大学もかなり増えてきているそうだが、私立大学がこの試験で要求する合格点数は200~300点台であり、国公立大学との格差は歴然としている。中国では私立大学は賢くない学生が行くという評価だ。
上海立信会計学院を見学したあと、大学と寮の間に数十軒ある飲食店街に行き、昼食をとる。
学生街というよりも郊外の専門店街のように、生活必需品の店はなんでもある。 大学が郊外移転するなら、必ずキャンパスに隣接して生活の場があるべきで、日本との違いは大きい。 安い定食屋に入る。衛生的には日本人にはやや厳しい雰囲気。 ここで私は周さんに勧められるままに、「宮爆鶏丁飯」という 辛い鶏肉とみそあんかけ、野菜、ピーナッツ、じゃがいも、白菜の 入った、マーボ丼みたいなのを食べる。7元。激安だ。 周さんは黒酢あんかけと豚肉の丼物を食べていた。 メニューを見ると日本では見たこともない珍奇なものが多い。 さらに、「上海で今一番はやっているナウなヤングのジュース」と 言われた「玉老吉」という缶ジュースを飲む。 甘茶みたいな味。 食事をして、定食屋を出ると、ああ悲劇。豪雨だった。 傘があってもずぶ濡れになり、歩けないほどである。 ショッピングモールの一角にある卓球場を見に行って時間を潰す。 ちなみに卓球は中国では「ビリヤード」のことである。 日本語でいう卓球は「兵兵(ピンポン)」という。 雨がやや小ぶりになったので、意を決して出かけた。 近所にあるもう1つの大学を見なければ、ここまで来た甲斐がない。 その名は、上海視覚芸術学院。 復旦大学のイニシアティブのもと、2005年に創立された、最先端のアート専門大学である。 コミュニケーションデザイン、デジタルメディア、ファッションデザイン、空間・工業デザイン、 ファインアート、パフォーミングアートの6学科。 世界トップレベルのデザイン・美術大学の学長からなる国際諮問機関を有し、 国内外から著名な教授を招いている。ここまで来て見ないで帰るわけにはいかない。 だが、あまりにひどい雨で歩きにくいことこのうえない。 とりあえず何とかキャンパスにたどり着き、目の前にある大きな校舎に入ってみた。 図書館やコンピュータ教室、音楽練習室などがある校舎だったが、展覧中心という巨大空間があり、 英語でエキシビジョンホールと書かれていたので、ここでイベントなどをするのだろう。 高さは4階建て分くらいあり、紙で作った大きな千羽鶴がいくつもぶらさがっている。 日本のどの芸術大学でも見たことがない巨大な規模の展示場であった。 ![]() 館内のコンピューターや芸術関係の設備はとても充実しており、 図書館に隣接した喫茶店では学生が運営していると思われる喫茶店があり、 学生の芸術作品を展示している。 インフォメーションコモンズというインターネットカフェのような情報教育の部屋や、 映画を放映する劇場もあり、卒業作品展のポスターが貼ってあった。 学生をあまり見かけず、我々だけでウロウロしていると怪しすぎるので、 ほどほどのところで退散する。本当は他の校舎も見たかったのだが、 あまりにひどい雨で歩けず、断念した。 それにしても、上海視覚芸術学院の校舎・設備とも素晴らしものであった。 郊外の新設大学でありながら、その充実度はムサビ・タマビの本部に匹敵するものである。 もちろん既存の学生街や学生寮は近い。 ここと比較すると、交通の便は悪い、寮がない、設備が貧弱、近所に店もない 東京芸大の取手キャンパスはものすごくだめだ。負けてしまうぞ。 今の上海はまだ、東京、ロンドン、パリ、ニューヨークのような デザインとアートの世界都市とはいえないと思う。だが、この莫大な 先行投資を見ていると、近い将来、この大学から世界的デザイナーが どんどん出てきて、上海が世界に誇るアートとデザインの発信地になる。そんな予感がした。 雨はあいかわらずひどく、1分も歩けば靴の中からひざまでビチョビチョである。 松江大学城にはほかにもいくつも大学があるが、これ以上の見学はあまりにしんどいので断念し、 周さんに雨でも楽しめるところに連れて行ってくれと頼んだ。 そして我々はタクシーで松江大学城駅に戻ってきた。筑波大学からつくば駅に戻ってきた感じ。 地下鉄で1時間以上かけて都心に戻り、浦東(プートン)の東方明珠塔の隣にある上海海洋水族館という アジア最大級の水族館に入る(135元、高い!)。 世界一長い155メートルのガラス張りの海底トンネル風水槽があり、動く歩道で見る。 世界各地の魚がおり、室内のインテリアがちゃんとアマゾン風、東南アジア風になるなどとても凝っていた。 孵化するサメの卵を10日おきに見せる展示が斬新だった。黒い白鳥がいた。 雨も小ぶりになったので、浦東のハイテクオフィスビル街を眺める。 日本の新宿と違い、ここ数年でできた2000年代の新築ビルばかりなので、建築工法も最新で、 100階建てのビルもあり、まるで未来都市のような景観だったが、 ビジネス街なのでそれほど人は多くおらず殺風景だった。 森ビルの上海ワールドフィナンシャルセンターまで来たが、ビルは雨雲の中に消えており、 150元払っても景色が見えそうにないので上らなかった。 タクシーで豫園という、日本でいう浅草のような古い町に行く。おみやげ屋街になっており、 ここで周さんが「上海でいちばんうまい」と豪語する南翔饅頭店の小籠包を食べる。 ![]() 16個20元と激安。かにみそと熱いスープが入っており、言われたとおりめちゃめちゃうまい。 ここで日が暮れたが、さらに、今上海でいちばん熱いスポットだという新天地というところに行く。 古いレンガの住宅街を高級レストラン街に改装したもので、巨大デパートも隣接。 欧米人や日本人の客が多かった。東京だと南青山や麻布のような高級な雰囲気の場所だ。 ここの一軒に入り、ビールを飲んだら75元。高い。 いちおう普通の観光地にも行ったところで、今日はおしまい。地下鉄でホテルに戻ってきて寝た。 ![]() (写真)上海立信会計学院の裏門にて。私と周さん 前回までのあらすじ ──上海立信会計学院の周さんの恩師。彼女は専門分野を持たない先生なのだという。いったい何者なのか? 周さんいわく、中国の大学には、普通の授業の先生と、事務職員の間に、職員のような仕事をする行政専門の先生がいるのだという。正式な職名を聞きそびれてしまったので、この先生を仮にここでは「教師」と呼ぶ(理由は後述)。 「教師」は、1人で約200人の学生の面倒をみる(1学年約50人か?)。授業はせず、学生個人の学生生活や寮生活をサポートするのが仕事なのだという。クラスの担任の先生のようなものだと周さんは言う。しかしこの「教師」が個人研究室を持っているとは。 授業をする方の教員は、中国でも講師→副教授→教授という職階があるが、「教師」は学部卒でもなれる職業なのだという。 なるほど、学生のキャンパスライフを支援する先生がいるのか。 これは日本にはない発想だ。 「日本だと教員と職員がこの役割を分担してるからなあ」 と私がつぶやくと、 「日本はどっちも学生に責任を持ってないです」と 周さんにピシャリと言われてしまった。まったくその通りだ。 確かに今の日本の大学は学生教育の重要性を口では言う。 しかし、教員は本音では本業は研究だと思っているし、 職員がどんなにがんばっても学生個人と密な付き合いができるわけではない。多くの熱心な大学職員の人を敵に回すことを覚悟の上で言わせてもらえば、大学職員が教育に関与することなど、日本の大学は制度として確立しておらず、「余興」扱いである。また、事務が本業である以上、どんなにがんばっても教育者としては教員に及ばない。 個人で「私はがんばっている」「うちの大学は違う」という反論は 認められない。大学制度全体としてどうかという問題だからだ。 以前絹川正吉先生が、教員と職員の間に、教育に専念する職種が必要だ という話をされていたが、日本ではまだ空想段階で普及していない。 だが、中国ではもう実用化されていたのだ。 日本の大学はいったい何をしているんだ! 「中国の大学のこの制度はもう知っているよ」という大学関係者の 反論は認めない。なぜなら、多くの教育フォーラムや講演会に私が 出かけて行って、この問題提起をしている人を見たことがないからだ。 誰もが、現在の、教員と職員だけで、大学教育を何とかしようとしている。もしかしてそれは茶番じゃないのか? 未だに、職員は教育者だと私が言うと、「プッ(笑)」と噴き出す 教授がいる。旧帝大では特にそうだ。 私は大学職員も教育者たるべきだとずっと思い、主張してきた。 だが、今回中国に行って、はっきりその限界を感じた。 どんなに大学職員ががんばっても、クラス担任のように 学生個人に責任を持って教育することは、できないのではないか。 教員と職員の間に、中国のような教育専門職は絶対に必要なのではないか。 大学院まで行ってしまうと、絶対に教授になりたくなってしまい、 結果的にプータローになっている山のような人々、 あるいは専任非常勤教員を、こっちに回せないか。 中国の「教師」は初年次教育も教養教育も一切しておらず、 中国の大学では教養教育は教授の仕事だが、 もし日本で「教師」ポジションを作るなら、 学生生活、就職支援、初年次教育、教養科目などを専門に扱う 職域にしていけばいいと思う。 ![]() (写真)まるでローマのコロッセオのような、上海立信会計学院の図書館 そんなことを思いながら、周さんの恩師のもとを辞去し、 学食や厚生棟を見学した。 学食にはイスラム教徒コーナーがあった。 厚生棟は一階は教員食堂と生協の売店だったが、 二階から何やら歌声が聞こえてくる。 登ってみると、おばちゃんがカラオケで 千昌男の『北国の春』(中国語バージョン)を熱唱していた。 さらには、数十人のおじさんやおばさんが、 ミニ図書館で読書をしたり、みんなでコーヒーを飲みながら トランプをしたり、ビリヤードをしたりして遊んでいる。 周さんいわく「この人たちはみな教師です」。 つまり、前述の、学生生活専門職教師のための 厚生設備だったのだ。外で建物の名前を見てビックリ! 「教師活動中心」 つまり、教師のための厚生棟だったのである。学生部室もないのに。 中国において、「教師」の地位がどれだけ高いのかが分かった。 3月3日(水)は、あいにくの雨。
周さんが朝10時にホテルのフロントに来る約束になっているので、 それまで朝の散歩がてら、ホテルの周辺をうろついてみた。 すると、ホテル「兆安酒店」は単独のビルではなく、 上海市の公共施設と同じビルにあることが判明した。 その施設の名は「上海市青少年活動中心」といい、 芸術やコンピュータ教育、学生新聞社など、青少年のための 活動施設が入ったビルである。 ![]() 日本なら青少年センターというとスポーツ施設などだが、 上海の場合はかなり事情が違っていて、ほかにも、 「上海青年創業広場」 「上海青年人材市場」 「上海青年職業発展服務中心」 「上海市経済管理学院」 など、ベンチャービジネスや就職斡旋、MBAなどが 入居しているのである。隣には 「中国上海人材市場」と書かれたビルが建っており、 チャイナ・ヒューマンリソース・マーケット・シャンハイ と英語で書いてあった。中国は大学ではなく行政が 就職支援をしているようである。 「上海市青少年活動中心」にはほかにも、 留学・移民などを斡旋する国際センターのような施設が入っており、 「出国全方位」という勇ましい広告や、 アメリカの大学での学位取得を目指すポスターなどが貼ってある。 すぐに手続きが取れるようにか、銀行が入居しており、 「上海市出入境服務中心」というパスポートセンターまであった。 一つの公共施設が、留学斡旋、ベンチャー創業、就職支援まで 全部やっている。「上海市青少年活動中心」の恐るべき手際のよさと 比較して、日本のお役所の縦割り行政はかなりダメだと感じた。 そのうちに10時になったので周さんと合流する。 今日は周さんの母校、上海立信会計学院を見学するのだ。 ![]() 上海立信会計学院は80年の歴史を持つ、経済系の名門公立大学である。 80年代にほかの7大学と共に郊外移転し、それらの大学は 「松江大学城」という大学都市を構築している。 この大学都市という発想はヨーロッパや中国にはあるが、 日本にはないもので、複数の大学が隣接して移転し、互いに交流が密な もので、非常に素晴らしい。 とはいえ、上海都心から50キロも先にあり、電車でも1時間かかり、 ほとんど筑波大学状態である。 最寄駅からもバスで15分ほどかかるが、 雨がひどいのでタクシーで行った。 学生数は7000人ほどだというが、キャンパスはなかなか広い。 赤い屋根と白い校舎はなかなかキレイだ。でも建物の中は 電気代を節約していて暗かった。 郊外移転したため、校舎の配置はゆったりしている。 道路を挟んで学生寮と飲食店街が続く。 中国の大学は全寮制であり、上海市民の周さんも 在学中はこの寮に住んだ。寮は4人部屋。 復旦大学と違うのは、他の大学の学生もごちゃまぜで 寮に住んでいることだという。バス・トイレは共同。 部屋は狭くてプライベートがないので、 今時の日本人留学生は抵抗があるだろう。 キャンパスはきれいな校舎が立ち並んでいるが、 図書館、情報棟、管理棟、教室棟、研究室棟、学食棟、厚生棟、体育館ですべてであり、日本の中規模大学とほとんど変わらない。 学生のサークル部室はまったくないが、全寮制なので学生の居場所はある。 ちょうどお昼時だったので、学生が大量に校舎から出てきて、 みなそろって学外の飲食店街に行く。 中国の大学生は3食とも外食だそうだ。 周さんいわく、「学食は人気がない」そうで、学生はみんな外に いってしまい、学食は比較的空いていた。 ぐるっとキャンパスを見てしまい、それほど印象に残る物は なかったのだが、周さんが、「恩師に会ってみる」というので、 研究室棟に入る。日本と同じような作り。 周さんの所属していた情報系学科の研究室に行き、とある部屋に入る。 私や周さんと同じ年齢ぐらいの、30歳前後の若い女の先生だった。 これは日本ではあまりない珍しいことである。 周さんと恩師の先生はしばらく中国語で話していたが、 私が紹介されたので、周さんに聞いてみた。 「周さんの先生は随分若いけど、何がご専門なんですか?」 すると周さんは私の方を見て不思議そうに言った。 「先生は、専門ありません」 な・ん・で・す・と!? つづく ![]() 復旦大学は中国の大学では常にトップ10の常連校であり、 上海では上海交通大学と並ぶ名門である。 上海交通大は理系が中心なのに対し復旦大は文系が充実しているため、 一般市民にはこちらの大学の方が知名度が高い。 創立は1905年。その名の由来は、中国の古書『尚書』の一説 「日月光華、旦復旦兮」にあり、弛みなく向上を目指すという 意味である。学生数は4万5000人もいるが、 学部生は1万6200人で、大学院、通信教育や生涯学習 (成人学校)まで含めてこの人数となる。 学院(日本で言う学部)は、中国語言文学、歴史学、文物と博物館学、観光学、哲学、経済学、国際関係と公共行政学、法学、新聞学、外国語学、社会発展と公共政策学、芸術設計学、数学科学、物理学、核科学技術、化学、高分子科学、環境科学工学、生命科学、情報科学、計算機科学技術、材料科学、力学工学、管理学、上海医学、公共衛生、薬学、看護学、ソフトウェア、国際文化交流など、文系・理系問わずたくさんある。 地下鉄3号線を大柏樹駅で降り、バスで大学に向かう。 大きな通りを挟んで、北が理系キャンパス、南が文系キャンパスに なっており、それぞれに理系図書館、文系図書館がある。 まず、北の理系キャンパスに行ってみた。こちらに本部もある。 コンクリート製の正門をくぐると、10メートルはあろうかという 超巨大な毛沢東像がそびえたっている。 中国の他の大学ではこんなのは見かけなかった。 校舎は、日本の伝統的な国立大学のように、3世代の校舎がある。 まず第一世代は、灰色のレンガに瓦屋根の、いかにも創立時からある 古い校舎だ。趣はあるがエアコンの室外機が飛び出していたりする。 この古い校舎群は、学生寮や本部管理棟として使われていた。 第二世代は、高度成長期のようなコンクリートの無骨な校舎群で、 こちらは校舎ごとに理系の各学部学科が使用しており、研究室や 実験設備がある。日本の国立大学の理工系の古い校舎に似ている。 そして第三世代は、近年できたハイテク校舎だ。いくつもあるが、 とくに目立つのは、30階建ての巨大なツインタワーで、まるで 香港や上海の浦東のような近未来の町の風景となっている。 ツインタワー「光華楼」はとくに巨大すぎてキャンパス内でも かなり目立っており、そそるのだが、まずは学食や生協などを見て からにした。どちらも日本の大学とあまり変わらない設計だった。 さて、復旦大学にはキャンパス内に学生寮があるのだが、 先ほどから私は変な学生たちを見かけている。 タオルや洗面用具の入ったプラスチックの桶を持ち歩いた、 軽装の学生たちが、数人でしゃべりながらどこかに向かっていくのを 頻繁に目撃したのだ。 「銭湯に行くんじゃあるまいし」 と思いながらついていくと、キャンパス内に、あった。 銭湯が。 ![]() 「学生浴室」と書いてある。そのまんまじゃないか。 入口ですぐに男女に分かれている。 中を見学したい欲望に駆られたが、入口でタバコを吸っている おっさんと目が合ってしまい、何か言われそうだったので退散した。 学生寮には風呂がないのだろうか。それにしても銭湯がある大学は 私も初めてである。
成田を9:40に出て、上海には11:50に着いた。
時差1時間だから所要3時間10分である。 新幹線なら東京~岡山間と同じ。かなり近い。 浦東空港ではJTBのガイドの朱さんに送迎してもらった。 高速道路は片道4車線で広い。ヨーロッパ風のオシャレな別荘風の家が 数百軒も立ち並んでおり、高層マンションもニョキニョキ建っている 中を、高架の高速で爆走していく。 途中で上海万博の会場も通った。まだ工事中である。 朱さんいわく「最近の中国の大学生は勉強していない」 にわかには信じがたいが、インターネットをしたり寝てばかりいて わがままな大学生が増えてきたという。 豊かになると日本と同じようになってくるのだろうか。 ホテルには13:30に付き、さっそく軽装で出かける。 今回泊まった兆安酒店というホテルは、上海駅と中心部の人民広場の 中間地点の漢中路という地下鉄駅と合体しており、まことに便利だ。 地下鉄は5元(1元=14円)、バスは2元、タクシーは初乗り12元。 まず向かったのは、宝山区の呉淞にある上海淞滬抗戦紀念館。 http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki6/shouko/shouko.html http://homepage3.nifty.com/ki43/sonota/nakanoin/nakano.html 日中戦争で日本軍が上陸し、ほとんどプライベートライアン状態で 多くの死傷者を出した激戦地である。 ![]() 実はこの上陸作戦に、私の祖父が参加していた。 生き残ったのはほとんど奇跡だったと本人は言っていたそうだ。 展示自体は出来事を淡々と消化している感じで、むやみに反日を 煽っている感じはしない。入場無料だが来場者は少なかった。 日本語表記はまったくないので、分かる漢字と写真だけで 想像するしかない。 ここで私が戦争について熱く語るかというと、そういう気は全然ない。 なぜなら、今回の旅ではっきり分かったのは、 急速な経済発展で自信と誇りを取り戻した中国にとって、 もう過去の戦争の傷はほとんど癒えていると分かったからだ。 多くの市民の関心は現在の繁栄であって、もう昔のことは興味がない。 今回案内してくれた周さんといろいろ話したり、上海市内をあちこち 見て回って、中国で私が感じたのは、 戦争の加害者としての贖罪意識や、過去の中国を見下す考え、 現在の中国を知らないための脅威論など、日本人の 中国に対する現状認識がずいぶん遅れているということである。 祖父が上陸したとおぼしき海岸は記念館のすぐ近くであり、 行ってみたものの、埋め立てられて軍事施設や港湾施設になっており、 近代的すぎて何の感慨も湧かなかった。 記念館の最寄りの友誼路駅近くのマクドナルドに入ってみる。 ハンバーガーのセットは22元、単品10元。 この近くに耕運機のエンジンを搭載した改造トラックが鎮座しており、 あまりに面白いのでこっそり撮影した。 抗戦紀念館では、思ったほど感慨が無かったので、 刺激に飢えた私はさっそく大学めぐりを始めることにした。 記念館から近い場所に、上海ナンバーワンの大学である 復旦大学があるのだ。 ![]() 千葉商科大学のオープンキャンパスで出会った 中国人留学生、周磊(シュウ・ライ)さんの春休みの帰省に便乗して、 上海を訪問するという今回の企画。 やはり現地人と大学見学をすると、入手できる情報がケタ違いです。 素晴らしい旅でした。これから日記を書きます。 【行程】 3月2日(火) 成田→(ANA)→上海浦東空港→ホテル(兆安酒店)→上海淞滬抗戦紀念館→復旦大学(1校目)→外灘→南京東路→ホテル(泊) 3月3日(水) ホテル→上海立信会計学院(2校目)→上海視覚芸術学院(3校目)→上海海洋水族館→豫園→新天地→ホテル(泊) 3月4日(木) ホテル→上海外国語大学(4校目)→魯迅公園→上海博物館→静安寺→上海戯劇学院(5校目)→上海交通大学(6校目)→田子坊→南京東路→ホテル(泊) 3月5日(金) ホテル→上海浦東空港→(ANA)→成田 上海では6つの大学を見学しました。 日本の大学は研究水準では多分負けはしないと思いますが、 教育面では中国の大学の取り組みには注目すべき点がありました。 これからおいおい書いていきます。 ちなみに写真は、上海の街の中で見た、 「耕運機のエンジンを付けた改造トラック」です。 日本ではありえませんね。 < 前のページ次のページ >
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