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ギリシャ旅行の一番の目的は、プラトンのアカデメイアに行くことでした。これは大学マニアとしては絶対に行かなければいけない聖地なのです。まずはソクラテスゆかりの地から紹介。
![]() アテネ市内、パルテノン神殿のすぐ近くにある古代アゴラ(入場は有料)。背後のヘファイストス神殿に目が行くが、むしろ手前の廃墟に注目。ここはアテネに栄光をもたらしてくれたゼウスを敬い、紀元前5世紀にたてられた「ゼウス・エリテリオスの柱廊」の跡地である。ここでソクラテスが友人たちと集い、哲学論を交わした。そう、まさにこの場所に、ソクラテスが居たのである。 [古代アゴラへのアクセス] 古代アゴラはパルテノン神殿に隣接し、パルテノン神殿の入場券で入れるので、詳しく説明する必要はないだろう。ガイドブックには必ず掲載されている。ただし、ゼウス・エリテリオスの柱廊は言われないと分かりづらいので、書いてあるガイドブックを持参することが望ましい。 ![]() アリストテレスの学校、リュケイオン(Lykeion)の跡地。リュケイオンは紀元前4世紀にアテナイ東郊に開設された学園(ギムナシウム)。リュケイオンの呼び名は、学園がアポロン・リュケイオス(Apollon Lykeios)の神殿に隣接して建てられたことにちなむ。アリストテレスは、リュケイオンの散歩道を歩きながら弟子たちと哲学や学問の論議を交わしたとされ、このことから、アリストテレスとその弟子たちをして逍遙学派(ペリパトス学派、hoi Peripatetikoi 散歩をする人々)と呼んだ。フランスでは高校をリセ(Lycée)というが、これが語源である。 [リュケイオンへのアクセス] アテネ空港と市街地を結ぶ地下鉄3号線のエヴァンゲリスモ駅で下車し、シンタグマ広場方向へバシリス・ソフィアス通りを進むと、ビザンティン&クリスチャン博物館がある。ここを通り過ぎて最初の道を左折するとすぐ、左手にこの写真のような空き地が金網越しに見える。これがリュケイオンだ。駅からは徒歩5分ほどで着く。残念ながらこれ以上近づくことはできない。官庁街で警官が居るので、怪しまれたら撮影許可は撮った方がいいだろう。私は警官にここがリュケイオンであることの確認を取ってから、許可を得て撮影した。残念ながら廃墟を見る以外に見どころはない。 ソクラテス、アリストテレスゆかりの地は交通の便が良いが、プラトンのアカデメイアは遠く、少し骨が折れるので、場所を詳しく説明する。まず、ガイドブックには掲載されていない。ガイドブックの観光マップでも町はずれなので切れてしまっている。googleマップが便利だ。アテネの町を拡大すると、市の中心部の北西に、国鉄のラリッサ駅がある。ここから地図をさらに西に向かうと、広い公園がある。ズームにするとご丁寧にも日本語で「アカデメイア」と書いてある。ここだ。 鉄道と徒歩で行く場合は、地下鉄2号線のメタクソウジオ駅か、3号線のケラミコス駅だが、どちらからも徒歩20分ほどかかる。閑静な住宅地なので治安が悪いわけではないものの、人通りも少なく正直不安な気持ちになるので、私は往復とも歩いたが、はっきりいってタクシー利用をお勧めする。運転手さんが知らない可能性が高いのでgooglemapをプリントアウトした地図は必須だ。 アテネ市内で入手できる観光マップなどには、プラトンのアカデメイアは載っていないくせに、その手前の市街地寄りの場所にあるアカデミアス・プラトノス広場という公園は掲載されている。この公園にはゲオルギオス教会という立派な教会が建っているものの、プラトンに関するものは何もない。せっかく行っては見たものの、正直ムダだった。地下鉄駅からアカデメイアに向かう場合、国鉄ピレウス線沿いのコンスタンティノポリス通りからプラトノス通りが枝分かれし、この通りをまっすぐ北西に進めば、アカデミアス・プラトノス広場を通ってからアカデメイアに行くことができる。 ![]() というわけで、プラトンのアカデメイアへやってきた。その場所であることを証明するものは、この看板しかない。 アカデメイアは紀元前387年にプラトンが創設した学校。名称の由来は学校のある場所がアカデモスの聖林であることで、アカデメイアとは「快楽」の意味である。学校の入口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていた。東ローマ帝国時代の529年に閉鎖された。ヨーロッパではこれにちなんで研究機関をアカデミー(academy)と呼ぶことが多い。哲学、アカデミズム、リベラルアーツなどはすべてこの場所から始まったといえるだろう。ゆえに、大学研究家としては来なくてはいけない場所なのだった。 ![]() ![]() ![]() わざわざギリシャまで、憧れて行ったアカデミアだが、見ての通り単なる廃墟でしかない。由来を書いた案内板も何もなく、ただ飛鳥時代の遺跡のような礎石があるばかりだ。大学のキャンパスぐらいの広さはあるのだが、どこも公園というか単なる森になってしまっている。 現地でこれを見た限りにおいて、せっかく来たのに何なんだと思った。ギリシャの偉大さは古代にあり、現代のギリシャではアカデメイアを博物館にする気概もなく、観光地として整備する気もない。ここが目的でやってくる観光客などほとんどいないことは、交通の便が非常に悪いことからも分かる。世界の学問において余りに偉大で重要な場所であるはずなのに、あんまりな扱いだ。 正直、面白いとは思わなかった。わざわざ行ったのに期待外れだとさえ思った。ところがなぜだろう。帰国して何日も経つと、じわじわと感動が湧きあがってくるのだ。プラトンの著作などを読んでも、以前とはまったく違う感動が伝わってくる。これはきっと、私がソクラテスやプラトンが哲学を語り、学んだまさにその場所に行ったからなのだ。きっとソクラテスは言うだろう。「僕が残したかったものは、建物ではない」と。だからきっと、これでいいのだ。 今日はイスタンブール旅行で見た中でも、古代ローマ帝国や、その後身のビザンティン帝国(東ローマ帝国。もっとも本人たちは滅亡までローマ帝国と名乗り続けていた)の残照を紹介。
![]() 朝のハギア・ソフィア ![]() ハギア・ソフィア内部。西暦537年、まさにこの場所でユニティアヌス帝は、古代イスラエル王国のソロモン王の大神殿を凌駕する聖堂を建てたという思いから「ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだという。 ![]() キリスト教の教会だったころのハギア・ソフィア想像図 ![]() デイシス・モザイクのキリスト像。ただし本物はフラッシュ撮影禁止なので、これはパネル展示 ![]() ローマ帝国時代のコンスタンティノポリスの街並みの想像図 ![]() トプカプ宮殿の隣にある考古学博物館。古代ギリシャ、ローマどころかヒッタイトの展示まで充実。圧倒的な収蔵品の質と量。ツアーガイドではここまで行かないかもしれないが、イスタンブールに行ったらぜひ見てほしい。 写真は撮影していないが、このほかにも、ローマ帝国の道路の起点となったマイルストーンや、ローマからコンスタンティノポリスへの遷都を記念して建てられた巨大な石柱などを見学した。1453年のコンスタンティノポリスの陥落=ローマ帝国滅亡の際、最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴス・ドラガセスは、異教徒であるオスマン帝国によって滅亡する怒りと悲しみのあまり、「余の首を刎ねてくれるキリスト教徒はおらぬのか!」と叫んでわずかな兵と共にオスマン軍に突撃、行方不明になったと言われている。 皇帝の遺体はついに見つからなかった。私はローマ帝国は滅んだのではなく、最後の皇帝と共に行方不明になったのではないかと考えている。遷都の石柱が健在である限り、ローマ帝国の首都は今もコンスタンティノポリスのままなのだ。 ![]() カーリエ博物館(旧コーラ修道院)のモザイク画、聖母マリアの死 ──次回からギリシャ編です。 バフチェシェヒル大学建築・デザイン学部の
アフメット・エユージュ(Ahmet Eyuce)学部長にインタビューを敢行しました。 学部長の一人称でお送りします。 ![]() トルコでは1920年代から伝統的建築学から近代的建築学に変わった。 その前の時代(オスマン朝)でも、西洋の建築を100年ぐらいは研究してきた。 オスマン朝時代、「ハッサン・ミマル」という、オフィシャルな建築家の会があった。 ミマルとは建築家という意味だ。 西洋化の中で、いったんはこうした伝統的な建築学は途絶えた。 近代的なトルコの建築学は、3つの流れがある。 1.18世紀のヨーロッパ、特にフランスの建築学を模範にしている。アート寄りで、トルコではミマル・シナン大学がそうだ。 2.工学寄り、エンジニア寄りの建築学。イスタンブール工科大学がそうだ。 3.アメリカ型の大学。1956年にアンカラにできた中東工科大学がそうだ。ペンシルバニア大学のコピーで、初代学部長も同大学の出身だ。私の母校でもある。 トルコに建築の大学は53あるが、1位が中東工科大、2位がイスタンブール工科大、3位がミマル・シナン大、我がバフチェシェヒル大学は4位だ。 ![]() (写真)建築学科の修士学生研究室 地震の研究は建築ではなく土木工学の方でやっている。 本学部は日本の武庫川女子大学をパートナーとして、修士のプログラムを作り、学生を送り出そうとしている。 私自身、建築家として多くの建物を設計してきた(冒頭の写真)。大学のカフェテリア、船のりば、個人の住宅など。この水族館は自信作だったが、クライアントの都合で中止になってしまった。 建築学科は定員70人、修士を含め学部全体で600人の学生がいる。寮生活の学生も通学の学生もいる。寮の場合は2・3人でシェアハウスをしている学生が多い。 ![]() アフメット・エユージュ先生、通訳をしてくださったムラツ・ドンダル先生 ありがとうございました。 今日はイスタンブールの鉄道の写真です。
![]() シルケジ駅 トルコ国鉄ヨーロッパ側の駅。かつてのオリエント急行の終着駅ですが、現在は東欧への長距離列車はあるものの、もはやイスタンブールの表玄関の地位は空港に譲って寂れまくっており、なんと長距離列車のホームは1本しかなく、残り2本は近郊電車です。近い将来、ボスポラス海峡の海底トンネルが開通すると、アジア側から列車が来るようになり、活気が戻って来るようです。 ![]() シルケジ駅の近郊電車 ![]() ハイダルパシャ駅 こちらがアジア側のターミナル駅、ハイダルパシャ駅です。ドイツが作った立派な駅舎で、当時のドイツの東方に対する野心の賜ですが、海底トンネルが開業するとこの駅は廃止されます。 ![]() ハイダルパシャ駅に停車する客車列車 ハイダルパシャ駅はシルケジ駅よりも活気があり、1・2番線が近郊電車、3~9番線が長距離列車でした。トルコ国内各地への列車で賑わっていましたが、アンカラからの新幹線はまだ来ていないようで見かけませんでした。 ![]() アジア側カドゥキョイの路面電車 ![]() 新市街イスティクラル通りの路面電車 ![]() テュネル ガラタ橋のたもとのカラキョイとイスティクラル通りを結ぶ、世界一短いケーブルカーような地下鉄。1875年開通と歴史は古い。 ![]() トラム イスタンブールの新市街と旧市街、郊外を結ぶ大型の路面電車。現状では最も重要な交通機関で、いつも混雑している。4両編成で運行。 ![]() トラムの新車 混雑対策のため旧型車よりもイスが少なく、私はこの新車はキライです。 ![]() イスタンブール路地裏さんぽ (地球の歩き方GEM STONE) 新品価格 ![]() (写真)バフチェシェヒル大学から見た旧市街。写真ではアレだが、肉眼ではブルーモスクやハギア・ソフィアといった世界遺産がよく見える。キャンパスの目の前がハーバーで、景色は素晴らしい。 2月3日(木)晴れ。ムラツ・ドンダル先生にホテルまで迎えに来てもらい、バフチェシェヒル大学(Bahcesehir University)を訪問する。ムラツ・ドンダル先生と知り合ったのは、武庫川女子大学のおかげである。 世界の大学めぐり 7/6 武庫川女子大学からバフチェシェヒル大学へ 武庫川女子大学建築学科 日本文化研究センター トルコ バフチェシヒル大学にオープン!! バフチェシェヒル大学は1998年創立の私立大学で、6学部8000人。授業はすべて英語。新設大学ながら、すでにトルコではトップクラスの名門私大となっている。これは、幼稚園22校、高校20校を経営する理事長の手腕だそうだ。日本だと日大や東海大や帝京大のような経営上手の学校法人ということになるが、トルコ国内最高峰の大学を作るという志の高さはこれらの大学との違いだ。 ![]() (写真)ムラツ・ドンダル先生。建築・デザイン学部の入口にて ボスフォラス海峡に面したメインキャンパスは、残念ながら非常に狭い。もともと別の建物だったものを改造して無理やり大学のキャンパスにした感じである。教授の研究室も3人部屋だし、学生研究室も修士からしかない。グランドや学生寮は離れている。しかし、海に面した学食はかなりオシャレだ。キャンパス内には65カ国の国旗が掲揚してあったが、これは留学生が来ている国とのこと。 ![]() (写真)大学生協が単位を出すインターンシップを主催しており、提携企業が貼り出されていた。IBM、ホンダ、シティバンクなど一流企業ばかり 学部は建築・デザイン学部、工学部、コミュニケーション学部、法学部、教養学部、社会科学部の6学部がある。ムラツ・ドンダル先生の所属する建築・デザイン学部は、インテリア、アーキテクチャ、インダストリアルデザインの3学科。建築とデザインで同じ学部になっているのは合理的で好感が持てる。ちなみにトルコには女子大は無く、女子高も男子校もなく全部共学だそうだ。 ![]() (写真)チャイとトルココーヒー トルコの大学受験は、高校1年生から4年生まで、毎年試験を受け、それに加えてさらに最後にセンター試験のような試験を受け、この5つの合計点で決まる。このシステムは国立も私立も変わらない。中国と同様に、点数で各大学が足切りをするので、大学の序列がきっちり決まる。学費はバフチェシェヒル大学は年間1万5千米ドルほどするので日本並みに高いが、国立大学は年間500ドルでタダ同然だという。 ![]() だから、イスタンブールはおもしろい―歴史的多民族都市の実感的考察 新品価格 ![]() オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書) 新品価格 イスタンブールでは、さまざまなイスラム教のモスクを見学しました。 ![]() ブルーモスク 正式名称はスルタン・アフメット1世ジャミイ。1616年完成の、世界最大級のモスク。イスタンブールを代表する建築物であり、ハギア・ソフィアと向かい合って建っている。中央ドームは直径27.5m、高さ43m。6本のミナレット(尖塔)は建設当時は聖地メッカにしかなく、オスマン帝国がいかに強大であったかがわかる。普段は観光客は誰でも入れるが、1日5回の礼拝時間はイスラム教徒しか入れない。 ![]() ブルーモスクの中。絨毯が敷き詰められており、靴を脱いで入る。木の仕切りがあり、その先はイスラム教徒しか入れないようになっている。多くの敬虔な信者が祈りをささげていた。 ![]() キュチュク・アヤソフィア 「小さなアヤソフィア」という意味のモスクで、元は536年建造の聖セルギウス&聖バッカス教会。8角形の建物で、イスタンブールで最も美しいモスクの1つと言われている。建物は小さいが、なんとその歴史は本家のハギア・ソフィアよりも古い。送迎してくれたガイドさんいわく、「小アヤソフィアこそ、本当のアヤソフィア」だとのこと。元善光寺みたいなものか。写真は撮影していないが、この近くにあるソクルル・パシャ・ジャミイというミマル・シナン設計のモスクは、小さいが非常に美しかった。必見。 ![]() キュチュク・アヤソフィア内部 朝9:30に行ったところ鍵がかかっており、ウロウロしていたら、鍵を持ったおじいさんがやってきて開けてくれた。「コリアから来たかね」と訊かれたので「日本です」と答える。一緒に中に入ると、おじいさんはコーランを開き、一人で読誦を始めた。8角形の、もとは教会であった、天井の高いモスクに、おじいさんの声が響き渡り、神秘的な雰囲気であった。 ![]() スレイマニエ・ジャミイ内部 いろいろあって外観は撮り忘れてしまった。ミマル・シナンの最高傑作のひとつと言われるモスク。1557年完成。ドームは高さ53m。直径26.5m。ステンドグラスが美しい。イスタンブールに行ったならぜひ見ておきたいモスクだ。 ![]() イェニ・ジャミイ(左)とスレイマニエ・ジャミイ(中央)とリュステム・パシャ・ジャミイ(右) イェニ・ジャミイは金角湾のたもと、ガラタ橋そばのエミノニュにあり、海に面したモスクである。この写真の構図はよくイスタンブールのパンフレットなどに登場する。ちなみに、ヨーロッパ側からアジア側に行く船からの撮影。 ![]() 船から見たブルーモスク(左)、ハギア・ソフィア(中央)、トプカプ宮殿(右) すべて世界遺産である。 ![]() 新品価格 ![]() 新品価格 イスタンブールではマルマラ大学、イスタンブール大学、イスタンブール工科大学などに足を運びましたが、初めに結論を申し上げると、キャンパスには入れません。 トルコの大学は非常に警備が厳重で、入口で学生証などを見せないと入場できないのです。以前、イスタンブール大学では爆破テロがあり、大学はテロの標的になっており、厳重な警備がされています。こればかりはしょうがないですね。 ただし、武庫川女子大学に紹介してもらったバフチェシェヒル大学だけは、ムラツ・ドンダル先生によって中までじっくり取材してきました。 ![]() マルマラ大学 トルコのアジア側とヨーロッパ側の間にあるマルマラ海にちなんだ名称と思われる。トルコで2番目に規模の大きい公立大学で、市内各地にキャンパスがある。写真はブルーモスクのすぐ隣にあった校舎。イスラム書道で書かれた校名が美しい。1883年設立。12キャンパス14学部に約6万人の学生を擁する。トルコ語、英語、フランス語、ドイツ語の4か国語で講義。 ![]() イスタンブール大学(正門) 1453年、東ローマ帝国を滅ぼし、コンスタンティノポリスを攻略したオスマン帝国によって前身校が設立されたという由緒ある歴史を持つ、トルコの最高学府。学生数は5キャンパスで6万人。まるで宮殿の玄関のような立派な正門だが、入口では厳重な身分証チェック、空港のような金属探知機、手荷物検査が実施されていて、物々しい雰囲気だ。単なる観光客が中に入ろうとしても、通常は警備員に断られる。 ![]() イスタンブール大学(本館) だが、なぜか私はキャンパスに入れてしまった(笑)。これはある方法を使って警備員との交渉に成功したためだが、テロの被害を防ぐためにその方法は書けない。本館前にはトルコ共和国建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルク像が立っているが、彼だけではなく、男女の学生を含む3人の銅像となっており、単なる独裁的な個人崇拝ではない感じがする。アタテュルクの写真や銅像は市内の各地で見られる。イスタンブール空港も正式名称はアタテュルク国際空港である。校舎の入口にもそれぞれ厳重に警備員が配置されており、厳しくチェックしているので、さすがに校舎内までは入れなかった。図書館や教室、コンピューター室などを、外から眺めただけである。 ![]() イスタンブール工科大学 トルコはヨーロッパの多くの国と同じように、工学部だけ別の大学である。1773年、オスマン帝国のスルタン(皇帝)によって設立された。11学部を擁し、キャンパスも複数ある。教員と学生の比率は1対12と充実。 写真は2つのキャンパスを結ぶロープウェイで、奥の宮殿のような立派な建物は校舎。このロープウェイはイスタンブール工科大学の学生の移動用のものだが、有料で(片道1.75トルコリラ)、一般市民も利用できる。観光ではなく通勤通学にロープウェイを使っているのはユニークだ。 ![]() 新品価格 ![]() 新品価格 1)今回のトルコ・ギリシャ旅行のテーマは「温故知新」です。大量の情報が氾濫し、忙しい現代だからこそ、偉大なる過去の遺産からゆっくりと学ぶことが必要だと考えました。それにしても快適なのはトルコ航空。テレビのリモコンの裏がゲームコントローラーになっており、空の上でテトリス三昧です。 2)2月2日の朝6時10分。夜明け前。多くのモスクからイスタンブールの街中に鳴り響くアザーン(礼拝の呼びかけ)の大音響で目が覚める。これぞイスラムの国に来たという感動があった。この日はまず、長年の夢であり、今回の旅の一番の目的であった、ハギア・ソフィアを見に行った。 ![]() 3)ハギア・ソフィアは、西暦537年にローマ帝国のユスティニアヌス帝が建設したキリスト教の教会で、高さ56m、直径31mの大ドームを持つ巨大な建物。その名称は「聖なる叡智」を意味し、日本語だと上智大学と同じである。コンスタンティノポリス総主教庁の所在地でもあった。 4)ハギア・ソフィアの約1500年に及ぶ長い歴史の中でも最大の衝撃は、1453年の東ローマ帝国の滅亡であろう。キリスト教の教会からイスラム教のモスクになって458年、1935年からはトルコ政府によって無宗教の博物館になって現在に至る。 ![]() 5)以前から写真を見たり、ウェブサイトで情報収集をしていて、その数奇な歴史に魅せられると共に、その美しさから「ビザンチン建築の最高傑作」と評されており、これを見ることができたのは私にとっては非常に価値のあることだった。 6)ハギア・ソフィアにはさらに、「ビザンチン美術の最高傑作」と言われるキリストのモザイク画「デイシス(請願)」がある。これはモスク時代は漆喰で覆われていたものが剥がされたもので、このモザイク画のキリスト像は、威厳と慈愛に満ちており、私が見たキリスト像の中で最も素晴らしい。 ![]() 7)イスタンブールでは、数多くのモスクを見学し、なかでもオスマン帝国の伝説の名建築家ミマール・シナンのモスクはどこも素晴らしかったが、そのもととなったハギア・ソフィアを超えるものは、私にとっては見当たらなかった。(終) ![]() 新品価格 ![]() 新品価格 ![]() トルコとギリシャに旅行に行ってきました。 大学めぐりと称していますが、普通の観光が中心です。 トルコでは、マルマラ大学、イスタンブール大学、イスタンブール工科大学、バフチェシェヒル大学、 ギリシャではアテネ大学を見学しました。 これで見学校は、47都道府県11か国及び3地域、860大学1143キャンパスになりました。 【日程】 2月1日(火)移動日 成田14:25→(トルコ航空で12時間40分)→イスタンブール20:05 グランドヤヴズホテル(泊) 2月2日(水)イスタンブール市内観光(1) キュチュク・アヤソフィア→マルマラ大学→エジプトのオベリスク→スルタン・アフメット・ジャミイ(ブルーモスク)→ハギア・ソフィア→イェレバタン・サラユ(地下宮殿)→トプカピ宮殿→ハギア・イレーネ教会→ブルーモスク→マスメット2世廟→グランド・バザール→イスタンブール大学→スレイマニエ・ジャミイ→エジプシャン・バザール→シルケジ駅→エミノニュ→(船でアジア側へ)→カドゥキョイ→ハイダルパシャ駅→(船でヨーロッパ側へ)→カラキョイ→テュネル→タクシム広場→イスタンブール工科大学→カバタシ→カラキョイ→テュネル(2回目)→ガラタ塔→カラキョイ→ガラタ橋→イェニ・ジャミイ→エミノニュ→チェンベルリタシ→ホテル(泊) 2月3日(木)イスタンブール市内観光(2) イスタンブール大学→ハギア・ソフィア→ブルーモスク→ソクルル・パシャ・ジャミイ→キュチュク・アヤソフィア→ホテル→ムラツ・ドンダル先生の車でバフチェシェヒル大学へ→アフメット・エユージュ建築学部長インタビュー→バフチェシェヒル大学見学→昼食→ドルマバフチェ宮殿→カバタシ→ギュルハネ→考古学博物館→モザイク博物館→トルコ・イスラム美術館→ハギア・ソフィア(2回目)→ブルーモスク(2回目)→ベヤズット→ホテル(泊) ![]() 2月4日(金)アテネ市内観光(1) ホテルを朝5:20に出る→イスタンブール空港8:05→(トルコ航空)→9:25アテネ空港→エヴァンゲリスモ駅→戦争博物館→ビザンティン&クリスチャン博物館→アリストテレスのリュケイオン発掘現場→国会議事堂→無名戦士の墓→シンタグマ広場→ホテルプラカ(いったんチェックインして荷物を置く)→アドリアノスの図書館→ローマン・アゴラ→パルテノン神殿(アクロポリス)→ディオニソス劇場→新アクロポリス博物館→古代アゴラ→モナスティラキ駅→ラリッサ駅→プラトンのアカデメイア→アテネ大学→アカデミー→ホテルプラカ(泊) 2月5日(土)アテネ市内観光(2) 国立考古学博物館→国立歴史博物館→アテネ市博物館→オウラフ・パルメ(アテネ大学の郊外キャンパス)→シンタグマ広場→モナスティラキ駅→ピレウス→ネオ・ファリロ→トラム→シンタグマ広場→ホテル→新アクロポリス博物館→ホテル(泊) 2月6日(日)エーゲ海クルーズ モナスティラキ駅→ケラミコス駅→アカデミアス・プラトノス広場→ラリッサ駅→ピレウス→(フェリー)→エギナ島→コロナ遺跡→エギナ・タウン→(水中翼船)→ピレウス→モナスティラキ駅→ホテル(泊) 2月7日(月)移動日 ホテル→モナスティラキ駅→アテネ空港10:30→(トルコ航空)→11:45イスタンブール空港→トプカピ・ウルバトル→エディルネカプ→カーリエ博物館→ミフリマフ・ジャミイ→エディルネカプ→トプカピ→スルタンアフメット→ハギア・ソフィア→ゼイティンブルヌ→イスタンブール空港17:50→(トルコ航空で約11時間) 2月8日(火)帰国 →12:05成田空港 < 前のページ次のページ >
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