第一の時代 文学=教養の時代
1949~1987
戦後の大学、人文知=教養
高校でいえば「国語」の時代
第二の時代 国際=教養の時代
1988~2020
立命館大学が国際関係学部を作った1988年が大きなターニングポイントで、経済的発展が頂点を極めた日本が国際とかグローバルとかで熱くなって、大学受験も英語が勝負で各大学も英語や留学に力を入れた時代。高校でいえば「英語」の時代。
だから「国際教養学部」だったのか! ずっとおかしいと思っていた。ICUのような教養学部は人文・社会・自然なのに「国際教養」って何なんだよと。AIUなんて単なる英語学科の大学じゃねえかと。そうではなくて、英語が教養を乗っ取っていたんだ。
コロナで激変。
海外留学できなくなり、リモート、オンライン、DXの今は、
なるほど、だから国際、グローバル、外国語の学部が第二の時代に激増したように、情報、データサイエンス学部が激増しているのね。でも、情報系学部は国際系学部と一緒でその学部内の教育だけで大学全体は変わらない。
人文知や英語力は結局は個人のスキルの問題、
すなわちデジタルスキルを個人で身に付ける必要がある。
そのための大学教育を提供する必要がある
高校の「情報」が国語や英語並みに重視されはしないし、
(そもそも小学生以前から情報教育を積み上げる必要がある)
ほとんどの文系私大はいきなり情報学部は作れない。
(作ることだけが正解ではない)
子どもたちにSNSは怖いとか学校にパソコンは不要とか言っているうちに、教育のデジタル化で世界に後れを取り新しい産業も産み出せない。
英語=教養の波にはうまく乗れた文系私立大学は、
情報=教養の波には乗れずに衰退してしまうのでは?
(高校の文系クラス→私大文系という既得権益が捨てられない)
AIUやAPUや早稲田の国際教養だってオワコンになりかねない。
英語さえできりゃいいという入試をやっている名門キリスト教系大学も、人材育成という意味ではヤバイのでは。
実際に今の文系に必要なスキルは、いわば
「情報教養学部」。
これは情報系の学部が実質的には理系なのと違って、
文系が生き残るための新たな知。
デジタルスキル(情報)×人文知(人文社会科学の専門性)×英語。
私は英語はまるでダメで、職業専門性だけは高度になるように磨き続け、デジタルスキルはどんどん自分で学んで手を出して挑戦し続ける(しないと生き残れない)。
文系の高校生が、あるいはやりたいことが幅広かったり決められない生徒が、情報学部やデータサイエンス学部に
「情報教養」を期待しても、実際の専門性は
コンピュータサイエンスや統計だから、
工学部の一分野のようなもので、
総合的に包括的にできるのは、
人文知と融合した学部教育なのでは。
それができる大学があるだろうか。
以上、私の脳内の思考実験を記録に残すために活字化しているだけなので、何の根拠もありません。
ちなみに情報は中国語では信息(Xìnxī)と言います。情報技術ではなく信息技術、情報通信も信息通信です。なぜ中国人は日本語をそのまま使わなかったのでしょうか?
「信息」という中国語の元々の意味は、「音信・消息・知らせ・頼り」です。「information」を中国は日本語を頼らず自分で考えて漢字に訳したのです。日本語で似た意味なのは「消息」でしょうか。「情報」は漢語にはなく日本人が創りだした言葉とされています。私は「信息」のほうが「情報」よりも「information」の訳としては適切かもしれないと思っています。漢字を生み出した国の底知れない強さを感じるのです。