リベラルアーツは不完全である |
調べたり、専門家と話をしていて、私は最近、
リベラルアーツ教育というものの物足りなさを感じている。
人文科学、社会科学、自然科学、どれも大切だ。
しかし、マス(大衆)化、ユニバーサル化した大学で
本当に必要な教養教育は、
職業人として社会で役立つ実践的な教養でなければならない。
学者になるための教養という既存の教養教育では
就職活動をしてサラリーマンになる大多数の大学生に適さないのではないか。
そもそも、西欧型教養人を作るのがリベラルアーツの根本なので、
いくら文学とか物理学とかを熱く語ったところで、
工学、農学がすっぽり抜け落ちているのが、私はとても不満だ。
あとはデザイン、これは従来の美術ではない。
今や、私たちの身の回りはすべてがデザインである。
デザインを学ばなければいけない。
基礎科学ももちろん大切だが、本当に重要なのは、
基礎科学を頭ごなしに教えるのではなく、
現実との関連性を交えて教えることだ。
ロシア文学とか微分積分を、あたかも自分だけが専門家のごとく
学生に講釈するのではなく、
現代の政治問題や、科学などのニュースから落とし込んで、
私たちの生活や人生に、これらの学問がなぜ需要なのかを
学生に分かりやすく説明するべきである。
そして、できることなら、エンジニア、農家、医者、芸人、音楽家、企業経営者など
現実に職業人である人たちが、どんどん大学に来て、
学生たちに実践的な学問を教えるべきだ。
もちろんそれだけにせず、大学教員が理論を補強する。
これこそが、現代のリベラルアーツへの道だ。
就職活動で初めて社会と触れ合うというのは、異常な世界だ。
昔の農家や今でも自営業なら、家庭と職業が密接である。
親の仕事の現場を子どもが知らないことも、子どもから職業生活が
見えにくくなっている原因ではないか。
職業生活を考えることで、大学で教養を学ぶ意味も見えてくるのではないか。
半導体集積回路も、バイオエタノールも、漁業も、すべて現代の教養である。
大学人こそ町に出て、自分とは違う職業人と触れ合うべきだ。
学生たちはそっちの世界に行くのだから。
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