3/17 奥三河 過疎の村めぐり |
昨日は、以前から気になっていた。奥三河の村々をマイカーで見て回ってきた。こうした僻地を見て、現代の過疎地域の問題を大いに考えようという渋~い趣味を楽しむのは、まことに奥ゆかしいものである。見学した順に感想。
中津川市(自宅)→恵那山トンネル→園原インター
旧浪合村
http://www.hirugami.gr.jp/namiai/index.html
2006年に阿智村に編入して消滅。人口は765人だった。周囲を標高1000m級の山々に囲まれている。バイパスが村の中心部を避けているので、村の中心でもほとんど車が走っていない。農協、駐在所、郵便局、診療所などがごちゃっと集まっているが、かなり寂れている。村にはコンビニが一軒もない。
平谷村
http://www.vill.hiraya.nagano.jp/
人口633人と長野県で最も小さい村だが、人口は減っていない。中学校は阿智に統合されて生徒は長距離バス通学になる。国道は村の中心を走っており道の駅もあるなど少しは活気があるが、ここも淋しいところ。
根羽村
http://www.nebamura.jp/
武田信玄終焉の地といわれる、信州最南端の村。隣は愛知県豊田市で、バスも走っている。16世紀までは三河の国だったので、愛知県との繋がりが強い。1980年に1773人だった人口は1121人にまで減少している。交通の拠点となる村なのでもっと活気があるかと思ったが、平谷村よりも平地が少なかった。市街地には古い民家が密集しているが、活気はない。
旧津具村
http://homepage2.nifty.com/tsugumura/
2005年に設楽町に合併して消滅。人口は約1500人だった。愛知県北東部にあり、名古屋からの交通の便は非常に悪い。盆地の高原にあり、かなり広い土地に田畑が多く、今までの谷間の村々に比べると随分明るい雰囲気だった。
豊根村
http://www.vill.toyone.aichi.jp/
愛知県でも最強クラスの僻地。人口1341人は県内最小。人口200人だった富山村を合併したが、30キロ近く離れている旧富山村域と結ぶ公共交通機関は存在しない。1980年は人口2000人以上あったが、かなり過疎が進んでいる。狭い峡谷の谷間にへばりつくように小さな集落が点在し、村役場周辺が一応中心部だが家々は少ない。店もほとんどないが、交通の便が悪いため昔ながらの商店もつぶれずに残っている。
東栄町
http://www.town.toei.aichi.jp/
伝統芸能の花祭で有名な町。JR飯田線の駅もあるが町の外れで、町の中心地は何十年も前から時が止まったような古い役場と住宅が密集しているが、歩いているのも車に乗っているのも老人ばかり。1980年代に6000人以上いた人口は3870人にまで激減し、過疎化が進んでいる。町の中心部以外の地区は特に寂れており、廃校になった小学校の木造校舎が点在しているのがもの悲しい。2008年3月には高校も閉校になった。
設楽町
http://www.town.shitara.aichi.jp/
奥三河の中心都市で、かつては豊橋鉄道田口線の終点として栄えた。人口は1万人近い時代もあったが現在は5000人台にまで激減している。昭和初期の町の中心地は200軒以上の商店と映画館まであったというが現在は半減。公共施設が多いのでなんとか繁華街の雰囲気は保っている。愛知県立田口高校がある。奥三河は民俗学の宝庫で柳田国男が注目したといわれ、『山の人生』にも登場。設楽の田口にある奥三河郷土館は驚くほど展示資料が充実している。
設楽町田口→旧下山村→旧足助町→東海環状自動車道→中津川市(帰宅)
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