10/20 聖学院大学 姜尚中 講演会 |
「生きる意味─大学は何のためにあるのか」
東京大学大学院情報学環教 姜 尚中 先生
10月20日に聖学院大学で開催された姜尚中講演会に行って来ました。
あまりに素晴らしい講演だったので、メモを書きましたが、
これは、私が聞き書きしたメモであって、この通り話したわけではありません。
話が繋がっていない部分もあります。
どうかご留意ください。
==以下、講演メモ(抜粋)==
私は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』みたいな本を
若い人たちに書きたいと思っている。
8月で60歳になった。若い方たちに、何かを伝えたい。
私は17歳の時、自分のアイデンティティーに悩んでいた。
親は選べない。なぜ私はここに生まれたのか。
17歳は危うい時代。
映画『ショーシャンクの空に』(1994)
若者になぜ生きるのかを伝えられない社会の不幸、生きる意味。
解答がない問い、なぜ生きるのか。黒澤明『生きる』
大人たちは、悩むよりも行動しろというかも知れないが。
マックス・ウェーバーが「自分の学問は『意味の社会学』だ」と。
夏目漱石の『門』。漱石はノイローゼになった。熊本に5年居た。
親との関係に悩んだ人。晩年の漱石は暗い。人間のエゴイズム。
『こころ』『草枕』漱石もなぜ生きるのかを考えた。
漱石「大英帝国のようになるのが日本の将来なのか?」
文明の進化は我々をノイローゼにする。
情報で人は確かに繋がっているが、そこに友情はあるか。
私は高校まで、生涯の友人とも師とも出会えなかった。
友がいたなら・・・。
私は大学で初めて生涯の友と出会えた。
私と似たような境遇の友だった。
友情が人にとってどれほど大切なものか。
大学では先生から学ぶことも大切だが、
友と出会うことこそ大切だ。色んな議論をした。答えはない。
なぜ自分は生きているのか。2日も3日も徹夜で議論をした。
彼は49歳で亡くなった。
漱石は『こころ』で友人を非常に大切にした。
漱石はウェーバーと同じ境地にあった。「意味」
私の生きる指針になった。
リベラルアーツ、ドイツ語ならビルドゥング。
私は本を読む中で、その一端に触れた。教養とは何か。
それは解答のない問いを、問い続ける。それは、生きる意味。
今の世の中はすべてがソリューションを欲している。
答えを、解答を。
世の中にはノウハウ本ばかり。
しかし、
生きる意味について考える、解答のない問いを考え続ける。
そのヒントが教養なのではないか。
人文主義、人道主義。
なぜ、毎年3万人もの人が自殺をするのか。
韓国も自殺の多い国、1万人近い。
10年で30万人、これは深刻ではないか。
グローバリゼーション、脱落感、失望感。
生きる意味をなくして、死を選ぶ。
未遂を含めれば2倍以上でしょう。
私のICUの教え子の清水康之君が、
自殺対策支援センター「ライフリンク」を作りました。
http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html
自殺遺児の問題を考え、NHKを辞めてNPOを設立して。
私の自慢の教え子です。
どうして人は自ら命を絶つのか。
アメリカやイギリスは日本よりずっと自殺が少ない。
市場が自由化しているのに。
「いのちを大切にしましょう」という言葉がむなしく響く。
暗部を見ると、生きる希望が見えてくる。
東大では「希望学」をやっている。
日本の社会には希望がない?
「希望を持つより安定した生活がしたい」
「希望は生きる意味なしにはありえない」
インドでは毎年10万人が自殺している。農村部が多い。
東京マラソンは3万人、いかに人が多いか。その3万人が自殺する。
一人一人親があり、人生があり、家族があるはず。
その「人」が「数字」に変わるとき、私たちは鈍感になる。
「来年も3万人死ぬんだろう」
生きる意味、希望のない社会。
避けられないことなのか。
景気が良くなっても、自殺者は減りません。
生きる意味をなくしている。誰も手を差し伸べてくれない。
ある新聞が「社会に迷惑をかけないで死んでくれ」と。目を疑う。
秋葉原の事件、他人を道連れにして死を選ぶ。
私が17歳から悩み始めた「生きる意味」。
グローバル化して、様々な可能性のある社会で、
ますます、生きる意味が空洞化している。
ウェーバーも漱石も、未来には悲観的だった。
近代的自我は、自由と楽しみ、幸福を生み出すのに、
なぜ私たちは孤独なのか、寂しいのか。
人間の力が失われ、
メディアを頼りに、人が繋がっているかのような社会。
ナショナリズムはそこに目覚めてくるのか。
意味の空洞化を国家が、ナショナリズムが、戦争が補ってくれる。
それが、答えを与えてくれるから。
私が気がかりなのは皆さん若者です。でも私は皆さんを見ていると懐かしい。
あの頃の自分の姿が今ここにいる。
私は皆さんぐらいの年齢の自分と対話がしたい。
若者はどう生きるか?
私は神を敬う方々と出会った。
加藤周一、金大中。
金大中の奥さんが私に「敬天愛人」といった。西鄕隆盛の言葉。
金大中氏は「実事求是(じつじきゅうぜ)」と。事実に基づいて、真理を究める。
彼は5回殺されそうになった。しかし「汝の敵を愛せ」と。
「日本の文化を韓国に入れたがらない人がいる。そんな精神の鎖国はダメだ」と。
彼は新しい歴史の扉を開けた。
大学は真理を探求する。それは事実に基づいていなければならない。
「認識と価値」「自ら決断する」
ハウツーを教えてくれる大学は一杯ある。問題解決型の。しかし、
生きる意味を教えてくれる大学は少ない。
自分でそれを発見するために、手を差し伸べてくれる大学は。
私は金大中氏に出会ったのは、最大の福音でした。
彼は大学に行けなかったが、15年の獄中生活で本を読みまくり、
リベラルアーツを身につけ、韓国経済のV字回復を成し遂げた。
彼は必ず歴史に残る人になるでしょう。
ソフトバンクの株主総会に呼ばれていった。
孫正義。彼も悩み続けた。
彼の90分のプレゼンの最後の20分は、自分のアイデンティティーの話。
悩んで悩んで。
敬天愛人をクリスチャンはどう解釈したらいいのか。
神の愛を受け止め、人を愛する。
生きる意味を問い続ける。
事実に基づいて、理(ことわり)を明らかにする。
『職業としての政治』でマックスウェーバーは学生たちに
「10年後に会いましょう」といった。10年後はナチスが台頭。
どうか皆さん、生きる意味を問い続けてください。
この先の10年、皆さんの生きる世界は辛いでしょう。
しかし、問い続けることに、生きる意味があるのです。
また10年後にお会いしましょう。
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