11/6 北村嘉行教授の思い出 |
私の東洋大学の恩師である北村嘉行教授が、
11月2日に急逝してしまい、昨日6日が葬儀でしたので、
八王子市の楢原斎場に行ってきました。享年73歳。
私が東洋大学に入学したのは1996年4月です。
当時私は、大学で地理学を学ぼうと考えており、
他大学の地理学科にも合格していたのですが、
いろいろ考えて社会学部社会学科に入学しました。
しかし、地理学への関心やみがたく、
1年生の一般教養で「地理学」および「地理学実習講義」を受講し、
その両方の科目を教えていらしたのが、北村先生でした。
なかでも、「地理学実習講義」は、座学だけではなく実習を重視し、
土曜日や休日などに学外に出かけて行って、地理の巡検をします。
レインボーブリッジを歩いて渡って、お台場を見学したのをよく覚えています。
実習講義は人数も少なく、いろんな学生と出会い、話をすることができました。
私が大学ジャーナリスト石渡嶺司と出会い、共に学んだのもこの授業です。
現在の東洋大の一般教養には、この科目はありません。
本を読んだり、授業を聴くだけでなく、実際に出かけて行って取材し、
それを文章にして伝えるということを、大学の学問として私たちが
身に付けるスタートとなったのが、北村先生であり、先生の授業でした。
北村先生がいなければ、私も石渡も文筆業への道は開けなかったでしょう。
今年の春、私が新潮社から本を出版した際には、激励のメールもいただき、
ますますのご指導を賜りたいと思っていた矢先のことで、残念でなりません。
私の出身地である岐阜県中津川市から、中央アルプスを挟んで反対側の
長野県駒ケ根市が先生の出身地でした。また、私が最後まで進学先として悩み、
入学金まで払い込んだ立正大学地理学科。先生は大学院が立正の地理で、
私はこうしたことから、先生には非常に親近感を抱いていました。
東洋大学はどこぞの慶應義塾と違い、学生や教員の人間関係がとても淡泊で、
私の大学時代で恩師と呼べる先生は、とても少なく、
北村先生はそんな私にとって、数少ない、東洋大学の恩師でした。
人は忘れられたときに、2度目の死を迎えると言います。
私は先生の存在と御恩を忘れないように、ここにブログの日記として刻みつけておきます。
北村嘉行先生、ありがとうございました。
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