都会の若者500人が住みたがる群馬の山村 |
バスはわずか数人を乗せて走り出す。すぐに藤岡市街地に入る。市街地といっても、シャッターが目立ち、寂れている。やがて山が迫ってきて、30分ほどで鬼石に着く。かつては鬼石町という人口7000人ほどの町だったが、現在は藤岡市に合併している。はるか昔は商業都市として栄えたそうだが、今は自動車が通過するだけの埃っぽい町だ。旧家、商家も残っているが、観光客がそれほど訪れるわけではない。
ここから谷は一気に狭くなり、バスは山を登っていく。大きな下久保ダムが見えてきた。バスはダムに沿ってくねくねと曲がった国道を走る。ダムと山に挟まれた急斜面に小さな集落が点々とあり、バスは細かくバス停の名を告げるが、乗降客はいない。このあたりはダムに沈んだ村の人が引っ越して住んでいる集落だろう。あちこちで頻繁に道路工事をしており、よく工事信号でバスは待たされる。
どこまでもダムと集落が続き、曲がった道ばかりで気が滅入ってくるが、この長い道のりを、もっと重苦しい気持ちで通る人々がいたことを、私は考えずにはいられない。
新町駅から1時間17分。こんな山の中に高校がある。群馬県立万場高校。進学校ではない。川の谷間のせまい集落にへばりつくように建っている高校だ。驚くべきことに新町駅からスクールバスが出ている。
高校を過ぎると道は狭くなり、両側に民家や商店が立ち並んできて、やや賑やかな谷間の集落に着く。神流町の中心地、万場だ。かつてはバスの車庫がある交通の拠点だった。神流町は人口2300人。かなり過疎である。
乗客もなく万場を過ぎ、さらに神流川をさかのぼっていく。それほど途切れることなく小さな集落が続くのが驚きだ。どこにでも郵便局があるのが目につく。
川がひときわクネクネと蛇行して谷を刻み、その中洲のようにカーブしたところに点々と小さな集落がある。国道のバイパスは橋やトンネルで突っ切るが、バスは旧道に入り、細かく停車していく。上野村の役場や学校を過ぎ、終点の上野村ふれあい館には5分おくれの11時15分に到着した。全区間を踏破したのは私と運転手さんだけだった。
上野村ふれあい館は定休日。中では役場の人が事務をしていたが、特に行くあてもない。道路が二股に分かれており、こんな案内表示が出ている「←御巣鷹の尾根19キロ」と。群馬県上野村。この村を有名にしたのは、1985年の日航ジャンボ機墜落事故だ。事故現場はバスの終点からでもさらに20キロの山奥。そこから1時間登山しないとたどり着けない。今はかなり道が良くなったが、事故当時は交通事情が悪く、想像を絶する苦労があっただろう。
上野村ふれあい館が閉まっているので、近くにあった「たにま」という自称ラーメン屋に入る。よくぞ営業していてくれたものだ。入口には「正直者が馬鹿を見ることもあるさ それでまた人生に味が出てくる」という意味深な仏教画が掲げられている。後で聞いたところ、日航機事故の供養でよく村を訪れる茨城県の坊さんが書いていったとのこと。
「たにま」は変な店だった。老夫婦が経営しているのだが、食堂なのにテーブル席のほかに、奥にコタツがあり、テレビや家財道具が持ち込まれ、明らかに「普通の家」と化しているのである。なんだかお邪魔している気分だ。「寒いからコタツに入りなさい」といわれ、コタツですいとん定食700円を食べる。奇妙な気分だ。おじいさんが2人いたが、一人は土木工事の仕事で来ているお客さんだそうで、パソコンと携帯を駆使して何やら仕事をしている。
「お客さん、何しに来たの?」
「いや、何となくバスに乗って終点に来てみたんですけど」
「ダム見学か?」
「何か見どころのあるダムなんですか?」
「地下500メートルに発電所があって、長野県と繋がっているよ」
「!!」
これ、後で調べたら、神流川発電所という、驚異の地下帝国だった。
http://www.tepco.co.jp/gunma/kanna-gawa/11_0-j.html
うへー、超見学したい!また来なくては……。
帰りは同じ道を2時間かけて藤岡に戻るのは絶対にイヤなので、下仁田に抜ける村営バスに乗る。
こんなのが来た。
上野村から下仁田まで、わずか30分、富岡市の病院まで行く。
高校生の通学や、老人が病院に行くのに重宝しているそうである。
群馬県のどん詰まりだった上野村だが、2004年に湯の沢トンネルができ、交通の流れはまったく変わった。今や東京からは、下仁田インターで高速を降りて、車で30分ほどで上野村まで来ることができる。
人口1300人、単なる過疎の村と思いきや、いろいろ活性化の努力をしている。特に驚きなのは、都会からやってくる人が200~300人も新たに定住したということだ。村では頻繁に都会でIターンフェアをやっている。
「5人の募集に、何人応募があったと思うかね」
「50人ぐらいですか?」
「いいや、500人だ」
この村に住みたい都会の若者がこんなにいたとは。
ただ、産業は林業しかない。あまりに谷が深く、農業は産業として成り立たない。工場を誘致するというのも非現実的だ。結局、林業と、木材加工品の製造などが産業になる。加工は、輸送費を村が出して、交通の便の悪さを克服している。
「でも、都会から来た人は定着できないで、1年で出ていっちゃう人もいるよ」
林業は給料は安いし、仕事は決して楽ではない。娯楽は何もない。コンビニ1軒ない。
「夜は仲間と酒を飲むか、家族と過ごしている」
大型店がある一番近い都会の富岡市は1時間離れている。頻繁にはいけない。
ただ、仕事さえあれば、この何もない村で過ごすほうが、情報過多でなくて幸せだという人もいるのかなあと思った。だから憧れて都会から来る人もいるのだろう。もう少し何とか工夫すれば、都会の人がIターンしてきて、過疎を食い止められるような気がする。
若い人は林業関係か役場、農協、土建業ぐらいしか産業はない。それでも、最近の若い人は都会に出て行きたがらないという。でも非婚化、および少子高齢化は進んでいる。隣の南牧村は高齢化率日本一だ。
ほとんど観光地ではないため、おそらく群馬県でも屈指の秘境であろう上野村。しかし、交通が便利になったり、若い人が魅力を感じるなど、わずかながら光明もある。2005年に上野ダムが完成し、固定資産税の税収が増加したので、2006年度以降地方交付税の不交付自治体となっているなど、実は財政難ではない。不思議な村だ。
私は鉄道に乗ったり、大学に行ったりしていると、比較的都市部ばかり訪問することになるので、ときどき離島や秘境にたまらなく行きたくなる。秘境といっても、人が住んでいて集落があるところが好きだ。観光地化されていないとなお良い。群馬県上野村は、まさに私の理想にかなう素晴らしい村だった。次は地下帝国を見学するために、また来なければなるまい。
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