ギリシャ旅行記(1)プラトンのアカデメイアに行く |

アテネ市内、パルテノン神殿のすぐ近くにある古代アゴラ(入場は有料)。背後のヘファイストス神殿に目が行くが、むしろ手前の廃墟に注目。ここはアテネに栄光をもたらしてくれたゼウスを敬い、紀元前5世紀にたてられた「ゼウス・エリテリオスの柱廊」の跡地である。ここでソクラテスが友人たちと集い、哲学論を交わした。そう、まさにこの場所に、ソクラテスが居たのである。
[古代アゴラへのアクセス]
古代アゴラはパルテノン神殿に隣接し、パルテノン神殿の入場券で入れるので、詳しく説明する必要はないだろう。ガイドブックには必ず掲載されている。ただし、ゼウス・エリテリオスの柱廊は言われないと分かりづらいので、書いてあるガイドブックを持参することが望ましい。

アリストテレスの学校、リュケイオン(Lykeion)の跡地。リュケイオンは紀元前4世紀にアテナイ東郊に開設された学園(ギムナシウム)。リュケイオンの呼び名は、学園がアポロン・リュケイオス(Apollon Lykeios)の神殿に隣接して建てられたことにちなむ。アリストテレスは、リュケイオンの散歩道を歩きながら弟子たちと哲学や学問の論議を交わしたとされ、このことから、アリストテレスとその弟子たちをして逍遙学派(ペリパトス学派、hoi Peripatetikoi 散歩をする人々)と呼んだ。フランスでは高校をリセ(Lycée)というが、これが語源である。
[リュケイオンへのアクセス]
アテネ空港と市街地を結ぶ地下鉄3号線のエヴァンゲリスモ駅で下車し、シンタグマ広場方向へバシリス・ソフィアス通りを進むと、ビザンティン&クリスチャン博物館がある。ここを通り過ぎて最初の道を左折するとすぐ、左手にこの写真のような空き地が金網越しに見える。これがリュケイオンだ。駅からは徒歩5分ほどで着く。残念ながらこれ以上近づくことはできない。官庁街で警官が居るので、怪しまれたら撮影許可は撮った方がいいだろう。私は警官にここがリュケイオンであることの確認を取ってから、許可を得て撮影した。残念ながら廃墟を見る以外に見どころはない。
ソクラテス、アリストテレスゆかりの地は交通の便が良いが、プラトンのアカデメイアは遠く、少し骨が折れるので、場所を詳しく説明する。まず、ガイドブックには掲載されていない。ガイドブックの観光マップでも町はずれなので切れてしまっている。googleマップが便利だ。アテネの町を拡大すると、市の中心部の北西に、国鉄のラリッサ駅がある。ここから地図をさらに西に向かうと、広い公園がある。ズームにするとご丁寧にも日本語で「アカデメイア」と書いてある。ここだ。
鉄道と徒歩で行く場合は、地下鉄2号線のメタクソウジオ駅か、3号線のケラミコス駅だが、どちらからも徒歩20分ほどかかる。閑静な住宅地なので治安が悪いわけではないものの、人通りも少なく正直不安な気持ちになるので、私は往復とも歩いたが、はっきりいってタクシー利用をお勧めする。運転手さんが知らない可能性が高いのでgooglemapをプリントアウトした地図は必須だ。
アテネ市内で入手できる観光マップなどには、プラトンのアカデメイアは載っていないくせに、その手前の市街地寄りの場所にあるアカデミアス・プラトノス広場という公園は掲載されている。この公園にはゲオルギオス教会という立派な教会が建っているものの、プラトンに関するものは何もない。せっかく行っては見たものの、正直ムダだった。地下鉄駅からアカデメイアに向かう場合、国鉄ピレウス線沿いのコンスタンティノポリス通りからプラトノス通りが枝分かれし、この通りをまっすぐ北西に進めば、アカデミアス・プラトノス広場を通ってからアカデメイアに行くことができる。

というわけで、プラトンのアカデメイアへやってきた。その場所であることを証明するものは、この看板しかない。
アカデメイアは紀元前387年にプラトンが創設した学校。名称の由来は学校のある場所がアカデモスの聖林であることで、アカデメイアとは「快楽」の意味である。学校の入口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていた。東ローマ帝国時代の529年に閉鎖された。ヨーロッパではこれにちなんで研究機関をアカデミー(academy)と呼ぶことが多い。哲学、アカデミズム、リベラルアーツなどはすべてこの場所から始まったといえるだろう。ゆえに、大学研究家としては来なくてはいけない場所なのだった。



わざわざギリシャまで、憧れて行ったアカデミアだが、見ての通り単なる廃墟でしかない。由来を書いた案内板も何もなく、ただ飛鳥時代の遺跡のような礎石があるばかりだ。大学のキャンパスぐらいの広さはあるのだが、どこも公園というか単なる森になってしまっている。
現地でこれを見た限りにおいて、せっかく来たのに何なんだと思った。ギリシャの偉大さは古代にあり、現代のギリシャではアカデメイアを博物館にする気概もなく、観光地として整備する気もない。ここが目的でやってくる観光客などほとんどいないことは、交通の便が非常に悪いことからも分かる。世界の学問において余りに偉大で重要な場所であるはずなのに、あんまりな扱いだ。
正直、面白いとは思わなかった。わざわざ行ったのに期待外れだとさえ思った。ところがなぜだろう。帰国して何日も経つと、じわじわと感動が湧きあがってくるのだ。プラトンの著作などを読んでも、以前とはまったく違う感動が伝わってくる。これはきっと、私がソクラテスやプラトンが哲学を語り、学んだまさにその場所に行ったからなのだ。きっとソクラテスは言うだろう。「僕が残したかったものは、建物ではない」と。だからきっと、これでいいのだ。
