長岡大学の過激な中退防止策(前編) |

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(写真)学生にマンツーマン指導をする広田秀樹教授(画像提供・長岡大学)
1)長岡大学の原陽一郎学長@h_yoichiro、中村大輔専任講師@10wings、広田秀樹教授、岸本徹也准教授、押見康雄事務局長、井比亨(いび・とおる)学事推進課教務・学生支援グループ長とお会いし、長岡大学がどうやって中退者を減らしたのかを聞いてきました。
2)長岡大学は2001年に開学したが、最初の3年間はひどい状態で、200人ほどの入学者のうち、50人近くが退学するようなありさまだった。当時すでに、大学の役割が従来とは大きく変化しているにも関わらず、教職員の古い意識が抜けきらなかったことが、大きな原因であったと広田教授は言う。
3)地方私大であり、偏差値も高くない長岡大学。新潟県の高校生の多くは見向きもせず、県外流出してしまう。そんな状況にあるにもかかわらず、大学教員の多くは、アカデミズムだけを重視する、研究者気取りが抜けなかったのである。
4)教員たちの授業は、学生から不満が大きかった。「先生の言うことがわからない」「授業がずさん」。これは何も、学生の学力水準が低いからだけが原因ではない。教員の教える姿勢、学生に分かりやすく教えることができないことも問題だった。
5)大学は、たちまち学級崩壊した。授業中の携帯電話は当たり前、遅刻、中途退室、雑談の騒音、タバコのマナーも悪い……。チンピラのような学生たちが群れて、まるで一昔前のヤンキー漫画の高校のような雰囲気だった。
6)当然、おとなしくてまじめな子ほど、大学を辞めていく。ただでさえ学生が集まらない上に、退学者続出、しかも地域の評判も悪い。長岡大学はたちまち潰れそうになった。2004年、学長が現在の原学長に交代する。原学長はただちに改革に取り掛かった。
7)それは、たった一人からのチャレンジだった。キャンパスで出会う学生、一人ひとりに、声をかけ、挨拶をするのである。最初は学生たちは、学長に挨拶されても無視していた。だが、粘り強く、一人ひとり、全員に、学長は挨拶をし続けた。
8)「大学の雰囲気を変えたかった」と原学長は振り返る。学級崩壊をなくすには、授業の管理を徹底するしかない。そこで、私語を厳禁し、座席を指定するなど、授業の改革に取り掛かった。ここで誕生したのが「マナー部」である。
9)「マナー部」は、高校の風紀委員のような活動で、広田教授の指導のもと、学生10名ほどで構成されている。彼らの仕事は、館内放送で、学内に「私語禁止」「遅刻、中途退室禁止」とPRするのみならず、実際にひどい授業に乗り込んで行って、学生を注意する。
10)こんな活動を、2004年ごろから、ずっと続けている。3年ぐらいかかって、ようやく学生たちは静かに授業を聴くようになってきた。学生に甘い教員が私語を許す場合は、学生とFD担当の広田教授が、その授業に乗り込んでいって、学生たちを黙らせる。
11)担当教員が授業を統制できない場合は、なんと授業開始前に広田教授とマナー部の学生たちが乗り込んでいって、学生たちを叱り飛ばし、黙らせた後、担当教員が授業を開始したこともあった。
12)「大学には、規律と秩序が必要。こんな授業では、まじめな子がかわいそうだ」(広田教授)。私語の防止、授業中はきちんと座らせる。そうした毅然たる態度を、教員にも徹底させるために、教授会でも議題にあげた。学生だけがダメなのではない。教員もダメなのだ。
13)教員の中には、こうした動きを他人事のように聴き流す人も多かった。こうした教員が一人いるだけで、また大学は崩れていく。学級崩壊がそこから始まる。こうした教員の授業には、広田教授が事前に乗り込んで、学生を黙らせたり、席を離したりした。
14)最初の3年間は崩れた大学、次の3年間は立ち直らせるということで、2006年度ぐらいまでかけて、ようやく、学内で挨拶がかわされ、マナーも雰囲気も良くなった大学へと変わってきた。この結果、中退者も、50人から20人、10人へと減ってきた。
15)何より、まじめな子が辞めなくなった。大学は、勉強できる、生活できる雰囲気になってきたのだ。長岡大学は、ようやく軌道に乗ってきた。同時に、教員には、研究者であるだけでなく、教育者として学生に接するよう、意識改革を進めた。
16)長岡大学の授業アンケートは、授業の内容だけでなく、教員が学生の私語、遅刻、携帯、途中退室などに甘くないかどうかも、徹底的に調査する。これをすべての授業で学生に書かせ、点数化する。これは「ダメな先生をあぶり出す」(広田教授)。
17)「学生がまじめにやっているのに、あなた方は何だ!」と、だらしない教員を叱咤するため、このアンケート結果は、誰もが通るロビーに張り出した。しかも掲載順は実名で高得点者からドベまで順番にである。いわば学生による教員の授業の人気投票だった。
18)これは、「まず教員が変われ!」という、強烈なメッセージだった。授業の満足度調査の自由記述も厳しい内容が多かったが、すべて公開した。これは、「生まれ変われない教員は去れ!」というものだった。実際、評価が下位の教員の中には、大学を去った人もいる。
19)事実上、クビのようなものだった。だが、「ダメな教員は辞めるべき」(広田教授)という厳しい態度を崩さず、学長もそれを容認した。ここで生まれ変われなければ、大学として生き残れないからだ。手を抜く教員は、淘汰されて当然というわけだ。
20)「今は学生の面倒をみる、いい先生ばかりになった」と広田教授は目を細める。「もちろん、こうしたやり方はイヤだという先生がいることは百も承知。だが、学生にとって、本当にいい先生はどんな先生なのか、考えてほしい」(広田教授)
21)2009年度(平成21年度)、ついに退学者は、在籍者500人のうち5人、わずか1%にまで減った。経済的理由から2010年度は17人、3.4%に増加してしまったが、ここ数年の過激な改革は、中退対策としては功を奏したといえるだろう。

