8/4 慶應大学院メディアデザイン研究科の徳久悟講師@dangkang |
明日は誰のものか イノベーションの最終解 (Harvard business school press)
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1)慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の徳久悟講師@dangkangにお話を伺ってきました。徳久先生は、楽しさをキーワードとしたエクスペリエンスデザインに関する研究をされています。
2)私がどうやって徳久先生にたどりついたかというと、Stanford d.schoolについて調べていたら、マサチューセッツ工科大学のD-lab(http://t.co/T1UFXhr)という、国際開発の枠組みの中で、適正技術と持続可能性のあるソリューションによる開発を育成するためのプログラムにたどりつき、
3)慶應でもD-Labライクな授業「世界を変えるもの作り」(木曜3限、日吉)http://t.co/rK8yhKvをやっているということを知り、わらしべ長者のようにたどりついたわけです。(この授業は機械工学科の竹村研治郎専任講師が担当で徳久先生はアドバイザ的立場で参加)
4)「デザインの力で社会変革をする」ことに関心のある私としては、徳久先生の途上国支援の話、さらには、なぜ政治学科に入ったのに、今はメディアデザインがご専門なのか不思議だということで、お邪魔しました。ここからは徳久先生の一人称でお送りします。
5)僕は山口県秋穂(あいお)町(現・山口市)出身で、防府高校を卒業しました。英語が好きで、世界で活躍したいので、将来は外務官僚を目指し、慶應義塾大学法学部政治学科に入学しました。
6)ところが、大学の授業が面白くないんですねこれが。政治学の授業は、毎年同じノートで、同じ先生が、同じ授業をする。600人で聴くだけの授業。超つまんない。語学も、中国語をやりたかったんですが、抽選で落ちてドイツ語になりました。
7)まったくとは言わないけど、日吉で受けた授業で、面白いものはほとんどなかったですね。3年生になって、ゼミに入ろうと思ったけど、食中毒で入院しているうちに、入ゼミ試験が終わっていました。
8)政治学科はゼミが必修でなく、卒論を書かなくてもいいのです。僕は結局ゼミに入りませんでした。就職が決まったらゼミを辞める人も当時はいました。3年生になって、官僚目指して国Ⅰの勉強を始めたのですが、これが超つまんない。
9)このモチベーションでは受からないと気付き、就職活動を始めました。すると某大手広告代理店からリクルーターがやってきて、順調に人事面接まで進んだのですが、結局そこは受かりませんでした。
10)ところで僕は、1年生のころから、「プログレッシブ・ロック」の研究会(サークル)に所属していました。ここは変な人がそろっていて、面白い部でした。今は何やっているかわからない人もいますが、官僚や弁護士になった人もいます。
11)このサークルがきっかけで、映像や音楽を作るのを始めました。これを仕事にしたいなーと思って広告業界いいなーと思ったのですが、ダメだったので、これは実績を作るしかないなあと思い、どこか大学か大学院に行ってさらに勉強しようと思ったのです。
12)でも、美大は編入するにもデッサンが必要です。すぐには難しい。そんな時、SFCの政策・メディア研究科の稲蔭正彦先生(専門分野はデジタルコンテンツ、エンタテイメント、メディアデザイン、メディアアート。現・メディアデザイン研究科委員長)を知り、
13)面白そうだと思って、進学しました。SFCの大学院は授業がほとんどなくて、自由にプロジェクトをやっていると修了できるので、好きな研究ができました。しかし、レビュー科目と呼ばれる唯一の授業ではプレゼンがあり、8人の教員にフルボッコにされます。これは恐怖です。
14)時には、教員同士でバトルが始まりました。私は入学当初、共感覚、特に映像と音楽に関する共感覚をモデル化し、ソフトウェア化する研究をしようと思っていましたが、調査していくうちにこれは2年で修了できないと思いました。
15)試行錯誤して結局、修士論文は、身体の動きをパラメータ化して映像や音楽の操作に適用する要素技術を開発し、動画プリクラを作りました。正式には「身体動作駆動型パフォーマンスシステム」といいます。これは製品化の声も複数社から頂きました。
16)携帯で撮った動画の使い道を考えることで、ビジネスにできないかなと考え、http://www.dangkang.com/work/atmos/index.html友人と会社を作ったり、文化庁メディア芸術祭で賞を獲ったりもしたのですが、実は就職活動はうまくいっていない。
17)先輩たちは凄い人ばかりなので、博士課程に行くのはためらいがあって、どうしようかと考えながら、SFC研究所の研究員をしていたのですが、他人の研究を手伝うのはつまらない。そこで、やはり博士課程に行こう!と思い、SFCの大学院に行きました。
18)年齢的には、同級生が社会で中堅になりつつある時期なのですが、まったく気にならなかったですね。周囲の連中は、コンサルを辞めてミュージシャンになったりとか、変な人もいましたので。まともなのもいましたが。
19)博士課程では、研究室に予算もあったので、ひたすら面白い研究に没頭しました。ひたすら作品を作って、ひたすら論文を書いて、研究が楽しい。動画プリクラも企業に買ってもらってそこそこ儲かりました。今もこの研究はiPhoneアプリなどを使って続けています。
20)修士の時は勢いでやっていましたが、博士課程では社会の中に存在する問題をどうインタラクションデザインを通じて解決するかを考え、寝る間も惜しんで作品を作り論文を書き続けました。
21)無事3年で博士号を取得した後、引き続き、SFCで国の大型プロジェクトの助手として研究を続けていました。その後、縁あって2009年4月から、現職に就いています。
22)今の研究は3つ。まず、「クラウド型自動動画解析/装飾システム」。次に「子どもの創造学習支援システム」。一番力を入れているのが、3つ目の「途上国支援」です。途上国支援は、途上国の人が現金収入を得るためのツールの開発をしています。
23)僕のテーマは一貫して、「どうやってモノを作るか」だった。「誰もが簡単にモノをつくれる」こと。携帯動画もそうですが、途上国支援もそうです。ブログにも書いています。(http://designthinking.dangkang.com/)途上国支援は具体的にはココナツのお酒づくりなどですが、
24)現地の人達の関心に根差したプロダクトを作ることを目的にしています。ソーシャルイノベーションですね。山内さんがMITのD-Labから私までたどり着いたのも、「デザインで途上国の問題を解決する」という流れでしょう。
25)インタラクションデザインは10年やってきて、ある意味「飽きた」んです。これをやってても、個人的には社会を変えられないと思っている、というか。今は、研究するのが面白くてたまらない。学部では面白い授業がなかったけど、だからこそ僕は今こうしているのかもしれません。(インタビュー終わり)
26)[まとめ]徳久先生と話していて面白いのは、「つまらない」「面白い」が頻発することでした。先生のパワーは、「つまらない」と思ったら、「面白い」ものへとどんどん自分で移っていくこと、面白い研究ができるように、自分を変えていくことにあると思います。
27)現在、単著を出すことを前提に、ブログを書き貯めているそうです。徳久悟先生の、今後のご活躍に期待します。(終)
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