9/3 工藤啓@sodateage_kudoさんと本田由紀教授@hahaguma |
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工藤啓@sodateage_kudoさんのNPO法人「育て上げ」ネットが企画した本田由紀教授@hahaguma(東京大学大学院 教育学研究科 教授)の講義を聴いてきました。「課題解決力」「質問力」「就職力」など、「なんとか力(りょく)」が溢れる現代。私達は、なぜ「なんとか力」に一喜一憂しているのか。終身雇用・年功序列の揺らぎが 「労働」「教育」「能力開発」にもたらしている変容とは何か。若者は、私達は、その変容をどのように生きればよいか。無意識に用いてしまう「能力」「スキル」を問い直しながら、「若者と能力」の過去・現在・未来を考えます。
・日本の特殊性
欧米でも「ポスト近代化」(サービス産業化、ポストフィーディズム、流動化と変化の加速)による「能力」カオス化は指摘されているが、職種別労働市場の伝統が長いため、「能力」の形成と構成を一致させるqualificationシステムの再構築が志向されている。
日本は職能給制のもとですでに属人的・全人格的「能力」が前面化しており、「学歴」はその一指標を提供していた。そこに「ポスト近代化」がかぶさったことで、「ハイパー・メリトクラシー化」が進行。(○○力の増殖)
・従来型メリトクラシーとハイパー・メリトクラシー
(本田由紀 2005、2007)
・従来型メリトクラシー
主に知識量や記号(文字・数)操作力などの、伝達や測定が可能な知的能力により社会的地位が配分される社会
・ハイパー・メリトクラシー
意欲や態度、コミュニケーション能力、創造性など、人格や感情と不可分な能力(「人間力」)が社会的地位の配分において重要かした社会(他者=面接官に判断されるもの)
・ハイパー・メリトクラシーの問題点
*要求水準の高度化という圧力
*属性的格差の顕在化と対処策の不在
*評価の恣意性
*自己責任と自己否定・自己排除(ぼっちは拒絶反応)
*限度の無い没入と「働き過ぎ」(やりがいの搾取)
・新たな概念化の試み
・「個人化されたメリトクラシー」と、「社会的メリトクラシー」
・本田先生的には、「社会的メリトクラシーの重要性を強調」
・違いは、「能力」形成の責任・理由が個人に帰属するとみなすか、社会に帰属するとみなすか
・ハイパー・メリトクラシーは「個人化されたメリトクラシー」と特に親和性が高い。
*若者にはびこっているのは自己責任論ではなく、「運」に左右されるというあきらめ
・企業の採用において、無名大学では大学教育はあまり有効に評価されていない
(キャリア教育や就職支援にいくら力を入れても)
採用において企業に評価される8つの指標
①英語、②ゼミ・演習、③資格予備校、④ボランティアNPO、⑤趣味の活動の団体、⑥企
業でのインターンシップ、⑦サークル・部活、⑧アルバイト
・20代の若者は、興味のある仕事で能力を発揮したいと考えている。
・自分の能力や個性を生かしたい、面白い仕事がしたいと考えている。
・正社員(父)→家庭(母)→教育(子)→また正社員(父)という、高度成長期型のトライアングルが機能しなくなった。
分析からの示唆
・「能力発揮」「能力主義」は、若者の間で広範に是認されている。
・それらを是認することにより、「社会不満」の強さは「希望」「自己責任」への希薄さと結びつく=単にくすぶり続ける不満・社会への怨嗟となる。
・逆に「希望」「自己責任」が高いものは、「社会不満」は少ない=現状肯定的になる。
・それゆえ、「能力発揮」「能力主義」は、異議申し立て(「社会不満」を変革への「希望」へと結びつけること)を阻害する働きを持っている。
・それは「能力」が個々人の間で内容面でも水準面でもきわめて個別的なものと考えられていることによる。(=個人化されたメリトクラシー)
・日本は「小さな市場」と「大きな政府」。貧富の差は自由な経済市場でよりよくなると考えている人は先進国最低なのに、自立できない貧しい人たちの面倒をみるのは国の責任であると答える人の割合も先進国最低。アメリカは43%の人が「機会の平等」があると考えているが、日本は15%。日本は「運やコネ」を重視(特に若年層)、価値観と実態のズレが大(大竹2011)
・就職氷河期で、非正社員として長く働いている人が出てきたことで、流動性がなくなり閉塞感が生まれてきたこと。そして、努力ではなくて運・不運で生涯が決まってしまうという価値観をもたらしてきたのです。(大竹2011)
・日本の教育の現状
・従来型メリトクラシー、ハイパー・メリトクラシーの両面で「個人化」(家族責任を含む)が進行。=学力や「人間力」「生きる力」の垂直的(一元的)格差化(本田20011bなど)
・具体的な分野別の能力を形成し証明(構成)する専門教育の希薄さ
・学校から仕事への移行(就職)の際にも同様。能力の社会的形成なきまま事後的解釈としての社会的構成が支配
リクルートのデータ「進路選択に関する高校生の気がかり」
学力に対する不安に次いで、「自分に合っているものがわからない」「やりたいことがみつからない、わからない」「社会に出ていく能力があるか自信がない」が多い。(社)全国高等学校PTA連合会・(株)リクルート「高校生と保護者の進路に関する意識調査」(2009)
ベネッセのデータ「進路を選択するときの悩み」(職業を意識した時期別)
大学生は高校時代に、学力のほか、自分の適性や就きたい職業、進みたい専門分野について悩んでいたと回答。こうした傾向は、職業を意識した時期が遅いほど顕著。
・自分の適性(向き不向き)がわからない
・自分の就きたい職業がわからない
・自分の進みたい専門分野がわからない
Benesse教育研究開発「平成17年度 経済産業省委託調査 進路選択に関する振り返り調査 大学生を対象として」
無業者は、求人の少なさと能力をめぐる不安が就労への障害
・不安である
・能力・適性が分からない
・希望仕事の求人が少ない
・相談相手がいない
・希望労働条件の求人が少ない
・人間関係に自信がない
・能力に自信がない
日本教育学会特別課題研究「2008年若者の教育とキャリア形成に関する調査」
・若年就労支援の手薄さ(無業者)
・地域の支援機関利用→少ない
・情報誌やネットを見る→多い
・合同会社説明会に参加→少ない
・教育訓練、資格取得→少ない
・職場体験・ボランティア→少ない
日本教育学会特別課題研究「2008年若者の教育とキャリア形成に関する調査」
いかなる対処が必要か
・「社会的(ソーシャル)メルトクラシー」の立て直しが必要。
・「能力」の形成および構成のいずれも、そしてこの両者を合致させる責任を社会がしっかりと担うような体制の整備。
・すなわち、実体としての具体的な「能力」を身につけるための教育・訓練の機会の整備と、それが就労機会にも結びつくような労働市場(ジョブ・カード制度、日本版デュアルシステム、ジョブ型正社員)を拡大させること。
「社会的メリトクラシー」に向けてのヒント
・広田照幸(2011)「選抜に漏れた者は不完全な選抜の仕組みによって次の段階の機会が奪われたことに対して、補償の要求をなしうるのではないか」
・本田(2011a)教育システムのコードを、「有能/無能」ではなく、「(現状をいったん承認したうえで)別の可能性を開くこと」(時間的/事象的/社会的次元において)とすることを提唱(学習者・教育システムのいずれについても)
・サポートがなさすぎる&偶然に左右されすぎ
・能力を発揮したいのに手がかりがない
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多元化する「能力」と日本社会 ―ハイパー・メリトクラシー化のなかで 日本の〈現代〉13
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