工学院大学の新井敏夫教授に「リーダーシップ」について訊く |
工学院大学の新井敏夫教授に、「リーダーシップ」についてお伺いしてきました。
新井敏夫教授
グローバルエンジニアリング学部 機械創造工学科 大学院工学研究科システムデザイン専攻
1953(昭和28)年9月29日生まれ。1979(昭和54)年東京大学経済学部卒業。1981(昭和56)年4月㈱電通入社東京本社ラジオテレビ局。1983(昭和58)年10月同メディア開発局CATV事業部。1997(平成9)年5月同マルチチャネル・ビジネスセンター。1998(平成10)年6月同部長。6月インターネット広告を専門に取扱うメディアレップ大手のサイバー・コミュニケーションズ代表取締役社長。2000(平成12)年10月同代表取締役社長兼最高経営責任者。2010年4月より現職、経営学及び技術経営、特に新技術の事業化・リーダーシップ論が専門。
──2010年からグローバルエンジニアリング学部の3年生向けに、「リーダーシップと企業経営」という科目を開講しています。私は企業を経営する中で、リーダーを育成することの大切さを痛感していましたが、毎学期授業の始めに学生に聞くと、小中高でリーダーシップ教育を受けた人は皆無。学校教育ではリーダーシップを事実上教えていないのです。しかし、健全な企業経営には必要です。現場に優れたリーダーを育成しないと、身内でかばい合うような、変な企業文化ができていきます。そして本来の企業目的から現場の活動が離れていくのです。
私は企業研修の中でリーダー育成を行おうとして、様々なテキストにあたりましたが、日本では適切なリーダーシップの文献も教科書もありませんでした。理論だけで企業現場の体験が反映されていないものは全く使い物にならず、欧米のリーダーシップのテキストは日本の習慣や文化を取込んでいないのでそのままでは使えません。私は、自ら理論を開発するしかないと考えて企業経営をしていた時からこの問題に取り組んでいます。当時私が書いたテキストは、かなり多数の若手企業経営者から要望がありました。同じ問題意識を持っていらっしゃったのだと思います。
海外で仕事をするとき、エンジニアは工学的な知識+英語で何とかなると思っていますが、これは大きく違っています。語学力はそれほどでなくても、マネジメントの素養がある人の方が良いのです。東南アジアでもトップクラスの人は米国留学しています。米国の大学ではまずリーダーシップを教える。大学生には当然のこととして社会のリーダーとして果たすべき責任を教えます。それどころか米国では幼稚園児から、Show and Tell(見せて話す)という授業があります。これは最初のリーダーシップ教育なのです。幼稚園児に、昨日家であったことを分かりやすく、工夫して友達に説明させる。ところが日本の教育にはリーダーシップというカリキュラムがないようです。
私の二人の娘は米国の修士課程に進みましたが、二人とも最初の授業がリーダーシップ教育でした。アジアからの留学生もこうした授業を受けるわけです。日本のエンジニアとアジアのトップクラスのエンジニアが東南アジア市場で再び出会ったときに日本の技術者は太刀打ちできるでしょうか。交渉術も、ディベートも。英語力よりもマネジメントの素養のある人の方が海外では成功する可能性が高いと私が申し上げた理由がご理解いただけるはずです。
日本にはディベートを学べる大学も少ない。工学院大学システムデザイン専攻では2013年度からディベートをカリキュラムの中に組込みます。最初は日本語からですが、担当はコミュニケーションの先生にお願いしていて英語でのディベートへと進みます。ディベートも簡単ではありません。学会のように真理とその検証を求めて議論する場と、企業の現場で現実解を求める場合とでは、議論の戦略も手法も違うのです。
リーダーシップは、大臣や社長といったトップマネジメントだけの問題ではありません。若くても、小さなチームでも、組織の各階層でリーダーになる場合があります。リーダーとしての機能を果たさないといけないのです。
今までの日本には、リーダーに必要とされる全ての機能を発揮しなくても、欧米という分かりやすいモデルがありました。戦後の話で知っている人はもはや少ないと思いますが、アメリカのドラマの『パパ大好き』のモデルです。米国の裕福な中流家庭は豊かさの象徴であり、日本人の夢でした。そこに生活のゴールがあったから、目標設定は不要だったのです。「冷蔵庫を作ろう!」「自動車を作ろう!」という目標に疑問はありませんでした。目の前にモデルがあり、追いつけ追い越せだったからリーダーシップはあまり問題にならなかったのです。社長は「全社一丸となってガンバロー!」と組織を引締めれば、現場はやるべきことを理解していました。だからこれをリーダーシップだと思い込んだのです。今でもそのリーダー像から脱却できないで苦しんでいる組織はたくさんあるのではないでしょうか。
私は、自分でリーダーシップを教えようと思った時に、科学的にリーダーシップを教えざるを得ないと思いました。頼りになる理論がない以上、科学的方法論だけが頼りです。どこからスタートするか。まず、「リーダーの機能をきちんと設定する」ことが出発点です。
さらにその前提となるのが次の二点です。
1.リーダーシップは組織内の各階層に必要
2.リーダーシップは科学である
リーダーとは何をする人か(リーダーの機能)。
1.目標設定をする。わが社の業界での居場所はどこか。スポーツチームなら優勝に必要な勝ち星数、船長なら目的地の設定。
2.戦略・戦術の策定。どのようにして目標を達成するのか。航路の設定。
3.チームの能力の維持・向上
目標設定は、個人のセルフマネジメントとは違います。組織のリーダーには目標設定は多くの場合外部から与えられます。たとえ社長でも、株主や市場という外部からの要求があります。これを明確に分析して具体化・数値化することが先ずリーダーには求められるのです。2番の「戦略・戦術の策定」ですが、今までの日本の「リーダー」は、これを自ら立案する必要がなかったのではないでしょうか。大きな目標は社会的に合意ができていて、細かな数字へのブレークダウンは経営戦略室とか経営企画室に任せれば良かった。最近は、自分で戦略・戦術を策定し現場に落とし込む、新しいタイプの経営者が多数現れてきています。3番目のチームの能力の維持・向上は、高度成長期の日本の企業リーダーの得意技でした。経営の三要素であるヒト、モノ、カネの編成です。
今、私は、学部生35名、院生10名に、リーダーシップを教えています。たとえ東大生でも、リーダーシップを科学として学ばなければ、優れたリーダーとして成長することはできません。生まれつきのリーダーは人間社会には存在しません。人間社会は複雑で、本能で処理できることはほとんどありません。その複雑な社会におけるリーダーはやはりリーダーとして教育することが必要なのです。
リーダーシップ教育は、社会人一年生となる学生たちにも大切な素養です。私の言うリーダーシップとは、チームとしていかに成果を上げるかという事です。これを学習した学生たちが企業というチームのメンバーになった時に、必要な役割を自ら理解して積極的に責任を果たせるということです。
日本人の多くは、まだリーダーは天性だという幻想の中にいる。科学的なリーダー教育が必要だと思います。前述したリーダーの三つの機能を前提とすれば、リーダーの取るべき行動のかなりの部分が演繹できます。優先順位を付けることはリーダーの基本的な行動である。戦略・戦術は数字まで落とし込んでいかないと意味が無いといったことです。危機に際したリーダーの行動(危機管理)についてもかなりの部分まで推論できるでしょう。またリーダーシップのあり方は、企業だけでなく、政治的組織や研究機関といった組織によって大きく異なるものです。本来は大学だけがリーダーシップ教育を行えば良いというものではありません。幼稚園や小学校から広範なカリキュラムを作成し、社会の様々な分野で活躍するリーダーを育成して行くべきだと思います。(終)
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