学園祭実行委員会が学園祭をつまらなくした |
(写真と本文は関係ありません)
学園祭がつまらなくなった理由の一端は、学園祭実行委員会そのものにある。本来の学祭実は、学園祭のたびに、各団体から人を出して毎年ゼロから組織するものだったが、今では固定化された一種のサークルであり、巨大な権力機関だ。だから、学祭実の意向に会わなければ各サークルは参加もできない。
巨大な権力である学園祭実行委員会にとって、学園祭は「学生みんなのもの」でも「お客さんのもの」でもなく、「自分たちの青春を飾るもの」である。そういう大学の学園祭のホームページを見ると、「どんな出し物があるか」が書いてなくて、自分たちの部局の紹介ばかりしている。
学園祭の主体は、実はずいぶん前から、参加する学生たちそのものではなくなっているのだ。企画運営サークルである学園祭実行委員会の皆さんが楽しむための添え物が各サークルだ。だから、学祭実主導の「本部企画」は、大物芸能人を呼んだり、ステージで派手なイベントができる。
しかし、固定化されたサークルである学園祭実行委員会が無ければ、学園祭ができなくなっているものまた事実だ。現に、毎年ゼロから実行委員を出して学園祭をやっている和光大学は今年、学園祭をやりたい学生が名乗り出ず学祭実ができず、あろうことか大学主催の学園祭になってしまった。
各クラスや部活が主体の高校の文化祭のほうが、まだ大学の学園祭よりも面白い。大学の学園祭は、ゼミや文化系サークルの衰退が著しく、ほとんど出ない例も多い。私は、文化系サークルにとって年に1度の対外発表の機会である学園祭になぜ出ないのか不思議だったが、学祭実主導の学園祭が嫌なのかも。
学祭実に権力が集中する以前は、多くの大学で権力を握っていたのは文化系団体連合(文連)であったので、文化系サークルの出し物は充実していた。文連は固定メンバーではなく各文化系サークルから人を出していたので、学祭実よりは民主的な運営だった。そのかわり、左がかることも多かったが。
学園祭の主体が文連から学祭実に移行することで、学園祭の、目玉イベントが、教室での文化系サークルの学術文化展示から、ステージでの大規模イベントへ移行していった。そして私個人の感想としては、学園祭で見る価値のあるものが大幅に減ってしまった。模擬店祭ばかりになってしまった。
いくつかの大学では、左翼的であった学園祭を大学がおとり潰しして、イベントサークルとしての学祭実を大人しい学生が自主的に立ち上げるように大学側が誘導した。そうして復活した大学の学園祭は、例外なくつまらなくなった。もちろん、以前の学園祭も問題はあったが、ここまで骨抜きにせんでも。
自分たちのホームページで「学祭大成功!」と集合写真を掲載している学園祭実行委員たちを見ると、「学園祭の主体は各学生ではなくなったのだな」と痛感する。まだ各サークルやゼミが主体的に活動している見どころある学園祭も少しは残っているから、今後はそういう大学の学園祭だけ見に行くとしよう。
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