2012年3月 ブラウン大学 |
私は深い絶望感を味わっていた。プリンストン大学、イェール大学のような教育は、日本ではできまい。自分に与えられた仕事は、自分一人で処理する領域を遥かに超えている。もう私一人の手に負える問題ではない。私はハーバードの大学院で学ぶような資質に恵まれていないし、世界最高の教員や学生に会って、自分にはあまりにも遠い世界であることを強く感じだ。「自分の限界では、世の中を変えることはできないのではないか」「これが俺の限界なのか」「これからどうすればいいのか」。自分は何をなすべきなのか、自分の限られた能力で何ができるのか、深い悩みの底にあった。
私個人の心境の問題として、深い悩みと苦しみ、絶望感を味わったのが、イェール大学であった。それなのにまだ、ブラウン、MIT、ハーバード、そしてカナダの大学が残っている。私はこの先さらに、自分の力のなさ、自分の力では大学教育を変えられないという、深い絶望を刻みつけられ、旅を続けるのか……。そんな気分になりながら、ニューヘイブンを去った私の心境は、どん底といっていい状態だった。
ニューヘイブンからまたアムトラックのアセラエクスプレスに乗り、約90分。ブラウン大学のある街、プロビデンスに着く。列車内は相変わらずWi-Fi環境とコンセントで、学生2人はそれぞれiPadとノーパソで仕事をしている。私がノートに書いている取材メモも、星野君はずっとiPadで直接書いている。僕もiPadにしたほうが便利だろうか。今後は、取材メモすらも、その場でツイートしてTwitterやFacebookに即座に反映するような取材スタイルになるだろうか。
プロビデンスは雪。かなり寒かった。タクシーで約5分ほどでブラウン大学に着いた。ここで、ブラウン大学の2年生の熊平智伸さんに会う。彼の情報は、以下のようにたくさん発信されている。彼は慶應経済を1年で中退し、ブラウン大2年生に編入した。
熊平智伸@tombear1991
http://tombear1991.jugem.jp/
http://japangap.jp/essay/2012/01/2.html
http://tyamauch.exblog.jp/17105139/
【写真】ブラウン大学の正門。入学と卒業の2回しかくぐれないという、永平寺みたいなルールになっている。右から星野君、私、熊平君、鈴木さん(撮影、安井君)
慶應の2年生で、1年間ブラウンに留学している鈴木日奈子さんと合流し、5人でキャンパスを見て回る。まずロックフェラー図書館に入る。卒業生にロックフェラーがいるそうだ。さらに、ジョン・ヘイ・ライブラリーという貴重書中心の古い図書館、サイエンス・ライブラリーという、理系中心の高層ビルの図書館などを見学した。
ここで、私は、このブラウン大学の顕著な特徴に気が付いた。それはすべての図書館や、ほとんどの校舎に、ラーニング・コモンズのような、快適な学習空間が完備されていることであった。この充実ぶりは、他のアイビーリーグを大きくしのぐものであった。集合場所だったインフォメーションセンターの校舎は学生会館のようになっており、喫茶店や生協、学生サービス用施設が充実しているのだが、ここにも飲食店のコーナーとは別に、巨大な自習スペースがあり、学生がくつろいでいる。ブラウン大学は、キャンパス全体がラーニング・コモンズであり、学生たちはどこでも飲食したり、学生同士で学び合っている光景があった。これは他大学との顕著な違いであった。しかも、学内の学食や喫茶店もラーニング・コモンズ状態であり、飲食店だから早く出ていけという雰囲気ではない。学生街も、書店と喫茶店が合体しており、学生たちはノーパソを拡げ、コーヒーを飲みながら、いつまでも遊んだり勉強したりできる環境だった。こんなにくつろげる大学は、初めてだ。
【写真】サイエンスライブラリー1階のラウンジ。喫茶コーナーもある。
もちろん、図書館には、静かに勉強する部屋もあったが、ラーニング・コモンズ型の部屋がとにかく多い。熊平君も、寮には眠るために帰るぐらいで、普段はキャンパスのどこかのこうしたスペースでくつろぐながら勉強して空いた時間をすごしているという。寮の無い日本の大学にとって、全米の大学の中でも、最も参考になる大学の一つであろう。
ブラウン大学には学部がなく、学生は自由に科目を履修すれば、所定の条件を満たした学科卒になるのだという。ほかにも、「全米で最も学生が幸せな大学」といわれるほど、学生のためのサービスが充実しているが、それらは熊平君のブログを読んでください。
http://tombear1991.jugem.jp/
さて、キャンパス見学後、14時半から16時まで、熊平君の授業を私たちにも見学させてくれるという。1972年にノーベル物理学賞を受賞した、レオン・クーパーLeon Neil Cooper
教授による、物理学の授業だ。
レオン・クーパーLeon Neil Cooper(1930~)
ニューヨーク市生まれ。コロンビア大学で、学士、修士、博士号、1954年を取得し、プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study) (1954-55)で研究。バーディーンに招かれ、イリノイ大学研究員(1955-57)として26歳のときにクーパーペアを発見し、超伝導の解明を行う。その後オハイオ州立大学で教鞭をとり、1958年にはブラウン大学に移り准教授になる。1962年に同大学教授となる。
1957年、ジョン・バーディーン、ロバート・シュリーファーとともに超伝導を説明するための微視的理論(BCS理論)を提唱した。超伝導は1911年にヘイケ・カメルリング・オネスによって発見され、多くの研究者の注目を浴びた。その後、数多くの実験的、理論的研究がなされていたが、実験面では多くの成果が得られた反面、理論的な面での解明は遅々として進まずにいた。しかし、46年後のBCS理論によって一応の決着をみることができた。
超伝導状態を実現するためには電子系が何らかの凝集状態にある必要がある。BCS理論では電子-格子相互作用を介して電子同士がフォノンを交換することによって、電子同士に引力が働くと考える。この引力によって生じる電子対をクーパー対(クーパーペア)と言う。
1972年、BCS理論の功績が認められて、バーディーン、クーパー、シュリーファーの3名に対し、ノーベル物理学賞が授与された。(以上、ウィキペディアより)
こんなすごい教授の授業なのだが、まるで小さい映画館のような、傾斜のきついイスの、窓の無い階段教室でやる。ステージには様々な実験器具があり、教授はこれをアシスタントの教員と一緒に動かし、聴いていた学生もステージに上げて実験に参加させた。ちなみに、クーパー教授は81歳とは思えない生き生きとした元気な若々しい教授で、とても美しい英語を話す。学生を実験に参加させつつ、学生たちはどんどん手を挙げて質問をする。当たり前だが席は前から埋まっていく。教授も、学生が質問したくなるように、授業を誘導する。学生たちはどんどん質問をする。とても魅力的な、夢のような授業だった。
……夢のような授業で、いつしか私は寝ていた。隣の熊平君に、「長旅でお疲れでしょう」と言われた。寝ていたことはバレていた。だって、英語わからないし……。星野君、安井君、レポート頼む。彼らには原稿料としてアセラエクスプレスの新幹線代160ドルをそれぞれおごっているのだ。頼むぜ。
授業終了後、街角の書店&カフェで、鈴木日奈子さんの話を聴く。バンクーバーの高校に1年留学していた彼女は、アメリカの大学を経験したい、と、慶應内部の厳しい競争を勝ち抜いて、ブラウン大学に1年間留学する権利を得た。
「思っていたよりずっと大変。リーディングの量がものすごく多い。質も高い。課外活動で合唱をしている以外は、ずっと勉強しています」と鈴木さんは言う。
彼女が現在履修しているのは、
中国語 週5×50分 15~20人クラス 教員は4人が交替
国際政治学 週3×50分 40~50人クラス
アメリカの食の政治 週2×80分 60人クラス
合唱 コンサートの直前なので2時間やっている、60人
(↑この合唱は、課外活動なのか授業なのか、よくわからなかった)
という科目履修をしており、これはブラウンの正規の学生と同じ負担だ。
「土日は遊べません。翌週の宿題と試験対策です。あとは、何もしない時間ですね。必要です。でも、タフな環境に身を置けていると思います」(鈴木さん)
ブラウン大の卒業生の多くは、金融やコンサルに行く。学費は5万6千ドル=480万円で寮費込み(交換留学の鈴木さんは関係ない)。
「ブラウンは、好きなことをどこまでもできる大学」と熊平さんは言う。
ただ、ブラウンはイェールやハーバードほどはお金がないらしい。
以下、熊平さんの話を箇条書き
アカデミック・アドバイザーの教員は、質問をしたら一緒に考えてくれる。
教授にも質問しやすい。レスポンスがある。
ずっと前に履修した教授とも、気軽に話せるし、ファンドも紹介してくれる。
自分から求めていけば、何もかも手に入る。
「何か予定がなければ、北京にでも行けば」といわれ、プリントン大学が主催する6~8月の研修に参加することにした。ずっと中国語で過ごす。スカラシップで5千ドルもらえる。
「ディーン」という、学部をまたぐ教授がいる。大学のマネジメントを担当し、学部の上にいる存在。学長と学部長の間のポジション。しかし、このディーンが、学生を担当する。僕にも担当ディーンがいる。ディーンはハードワークなので、あんまり年はとっていない。
熊平君 2年生の春学期 5科目を履修
・中国語 週5 10人クラス
・物理 週2 30人クラス
・歴史(アメリカと帝国主義) 週2×50分(100人クラス)+週1でディスカッション(TAによる10人クラス、50分)。毎週本を1冊読み、サマリー(要約)をTAに提出(毎週末)。TAをやらないと教授になれない。この授業は日本人の先生。
・マクロ経済学 100人クラス
・計量経済学 100人クラス(コンピュータを使う)
「キャリアが無限大に広がる。と感じている」熊平さん
熊平さんの受験勉強。SATは自分で勉強した。TOEFLは100点に到達。エッセイは、ブラウン大学出身でBBCに勤める父に見てもらった。推薦状、課外活動の実績、中学と高校の成績を提出。
17時~18時 米海軍の「オペレーション・トモダチ」の講演を聴く授業。日本の自衛官も来ていた。映像と説明。これはWATSON INSTITUTEという国際関係学の部署が主催しており、毎日のように世界中から政治や国際関係の専門家が来て、このような少人数セミナーをする。日本の大学でも、こうした試みがもっともっとできないものだろうか。
18時から、日本語を話すクラブのパーティーだったが、電車の時間が迫っていたので、一瞬だけ顔を出して辞去。熊平君と一緒に4人でプロビデンス駅まで歩き、14ドルの安い列車でボストン南駅へ。
ボストンでは、私は高級ホテル(ハイアット・リージェンシー・ボストン)に宿泊。安井君はMITのカイル君の寮へ、星野君はハーバードの岡洋平君の寮へと、それぞれ散っていった。
3月1日(木)おわり。
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