菅谷 明子 日本の大学が消滅する未来 |
菅谷 明子
http://amphibia.jp/archives/202
・事務作業に追われ、授業や研究に余裕をなくす教員
・日本のトップ大学では、徹底的な知的探求を奨励する、学習環境が欠如している。
・本来、教員が最も時間を費やすべき授業の準備や研究活動に、十分な時間が取れていない。アメリカであれば、事務作業や雑用は、専属スタッフが対応してくれますが、日本ではこうしたサポートが、大学の基本インフラであるとの認識が乏しく、一部を除いて、教員自らが引き受けざるを得ないケースが多い気がします。そして、それらに時間を取られるあまり、本来の研究に費やす時間的余裕や、精神的な意欲もなくしている。こうした状況では、教員たちの知的探求の気持ちが薄らいでしまうのも当然のように思いますし、学生の良きロールモデルにもなり得ていないと思います。アメリカの大学は、教員をサポートする専属スタッフがいるのはもとより、学生が学内で、教員のアシスタントなどとして、雇用されているケースも多いです。学生にしてみれば、学内での仕事は、「通勤」する必要もなく、また研究との接点なども見いだしやすく、両者にとってのメリットも大きいと思います。
・アメリカの大学では教員が研究に没頭できるように、時間的余裕を持つことも奨励しています。研究時間だけでなく、直接自分の研究とは関わりのないことに時間を使うことが許されているケースもあります。研究を深めたり、創造的な仕事をするためには、あえて別のことをする重要性が認識されているからです。大学や学部にもよりますが、教授職に就きながら、起業し会社を経営しているケースなども、珍しくないと思います。ただし、こうした「ゆとり」がある一方で、教授としての、生き残りの競争は日本とは比べ物にならないくらい厳しいです。アメリカで教職員として、正式に採用されるためには、テニュア(教職員の終身雇用資格)を取得しなければならず、そのためには、独創的な研究で高い業績が求められます。それに加えて、自分の研究費は自力で集めてこなければならないという厳しさもあり、資金集めは大事な仕事の一つです。自分で資金を集める為には、研究テーマが常に世に問われ、また、研究の意義や成果をアピールすることが、日常的に求められるという環境にあります。日本でも似ているかもしれませんが、こうした状況では、ファンドがもらいやすいテーマを設定しがちになるといった弊害もあると思いますが、その一方で、多くの洗礼を受けているだけに、米国の大学から斬新で意義ある研究が多く出てきているのも確かです。
・日本の大学組織の年功序列の問題は、特に創造性が求められる時代には、日本で考えられている以上に弊害が大きいと思います。例えば、教員や学生が集まって議論をすべき場面でも、暗黙の上下関係があるため、教員や学生間の議論はなかなか建設的な方向に向かいません。
・日本では先生が一方的に話す講義形式が主流ですが、確かに、アメリカにも大教室での講義型授業もありますが、その場合、少数のグループによるディスカッションの授業がセットになっていることも多いです。先生による講義だけではなく、ディスカッションが繰り返されることで、1つのテーマを、多角的に見られるような工夫がされているからです。ただ、それ以前に、日本の教員の中には、失礼ながら、コミュニケーション能力が高くない方も多い。「この先生は一体誰に向けて、何を伝えたくて、話しているのだろうか」と思わざるを得ないような、単に好きなことだけを話し、どう伝わっているのかまで考えていない授業が多い気がします。また、毎年同じ授業を繰り返す教員もいらっしゃると思います。アメリカの教員達の中には、まさに舞台に立つ俳優・女優のように、授業をストーリーに落とし込み、惹き付けるせりふを吐き、指揮者のように学生の意見を引き出して、ハーモニーを奏でさせる巧みな方も存在します。
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