私は大学だけでなく専門学校も数えきれないほど足を運びましたが、忘れられない学校が2つあります。
セツ・モードセミナー(1954-2017)と文化学院(1921-2018)です。
どちらも、もうありません。
2000年代前半、編集プロダクションで働いていた私は、イラストレーターさんにイラストの発注をすることが多かったのですが、会社にあった『イラストレーションファイル』という、イラストレーターの図鑑のような分厚い本をパラパラ見ていると、セツ・モードセミナーの出身者が異様に多いんですね。それで、興味を持って、セツの校舎で開催されている作品展に、何度も足を運びました。
イラストレーションファイル
そのうちの一人の、まだ駆け出しの若い女性イラストレーターの方に仕事を発注し、打ち合わせをしたのですが、そこで彼女は、セツの創立者である長沢節(1917-1999)が、どんなに魅力的で自由な先生だったか、うっとりしながら語るのです。晩年になってもいつも若くて素敵なボーイフレンドがいた話(長沢節は男性で、生涯独身)や、年を取ってみんなが止めるのに自転車に乗って事故死してしまった話が、印象に残っています。その後、打ち合わせをしたイラストレーターの方は、大物小説家の本の表紙画を多数手がける、超売れっ子になりました。
その長沢節が出たのが、文化学院です。こちらも、昭和初期の校舎がまだ残り、高等課程もあった2000年代前半に、お茶の水の校舎の学園祭に何度も行きました。古い校舎の職員室だか事務室がカフェラウンジのようになっており、学園祭に来た卒業生と教職員が親しく語り合っているほほえましい光景が見られました。その後、高層ビルの新校舎に建て替えたり、学科を改変したり、高等課程を閉校にしたり、お茶の水から両国に移転したり、了徳寺学園に合併したりと、晩年は迷走し、廃校になってしまいました。
どちらの学校ももう存在しないのですが、アートの分野ではあまたの著名人を輩出し、活躍しています。新しい学校ができたり、著名な先生が新大学、新学部の目玉になってPRしているのを見ると、私は消えた2校を思い出して、こう思うのです。学校は、「誰が作ったのか、誰が教えるのか、ではなく、誰が出たのか」がより重要なのではないかと。
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