難関大の総合型選抜は文化資本の競争になってしまい、高校から獲得した教育だけでは戦えないものになりつつあります。大都市で英語とプログラミングとSTEAM教育の学童保育に通い、中学受験する人たちのものです。
勉強して良い学校に行こうとするのは中流階級で、上流階級は生まれで決まる。そんなの欧州の貴族の世界かと思ったら、日本もそうだと顕在化されてきました。
東大、早慶上智などの入試を見ていると、「都会の富裕層の生徒が欲しい」という本音が見えてしまうのです。あるいは、都会の受験生の側がそれに最適化されているというか。受験は学力でも出身中高でもお金ですらなく、「生まれ」で決まるという、残酷な現実があります。
難関大学の総合型選抜が、「経済的には恵まれていないけれど、意欲がある(地方の)優秀な若者を引っ張り上げるもの」から、「経済的には恵まれているけれど、学力は足りない(都会の)人が、塾に課金して滑り込むもの」に変わりつつあります。
地方の受験生の「コロナで東京の大学に行かない」は、所得や社会的地位の格差の固定化につながります。県内の高校の序列で人生が決まってしまうのです。
コロナは学力格差を拡大・固定化しました。学力の低い高校で臨時休校中に結局は遊んでいた生徒と、オンラインを駆使して提供する教育レベルを維持したまま、生徒自身も自宅で計画的に学べる名門高校では、大きな差が付きました。
コロナで、偏差値50台の高校が最も落ちぶれるだろうと私は心配しています。中流からの転落です。ギリギリ一般選抜に挑戦していた生徒が、推薦で入れる大学を選ぶようになり、進学実績が目に見えて低下し、高校全体が勉強意欲を失っていきます。自学自習の習慣が無かったからです。
推薦は二極化しています。国公立大学や難関私大の総合型選抜は、学力、教養、知的好奇心、将来のビジョン、活動実績、能力、読解力、表現力、学習習慣がないと受からず、結局はエリートの物です。「誰でも入れる推薦の大学」とは違います。残念ながら、二極化の下の推薦だけの高校は、格差の下です。
なぜ不良は自ら肉体労働者になるのか。
・座って勉強するのが苦痛
・身近な大人の学歴が低い
・知的能力ではなく身に付いた文化で勉強から排除されており、グレてドロップアウトするほうが合理的
・不平等な階級格差は下位の人々の自由意志で再生産される。
ポール・ウィルス『ハマータウンの野郎ども』
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