2008年 05月 28日
悲観論者はもうやめだ! |
世界を旅してみると、なんて日本人は悲観的なんだろうと、それ自体に悲観的になる。アメリカやヨーロッパはもちろん、中国や韓国やベトナムでも、街で会った人たちはテンションが高くノリノリでポジティブだった。日本では沖縄がテンションが高かった。
人生でうまくいかないことや不都合は誰にでもあるが、それを明るくほがらかに乗り越えていくか、うじうじ悩んでいるかで、自分自身の心も変わるが、もっと大きいのは、周囲にそれが伝わることである。
「俺なんかダメだ」「私なんか…」「ウチの会社なんか…」という話をしてくる人がいるが、そういう人はこっちのテンションが下がってくることを自覚しているのだろうか、私だってテンションは上げて上げて上げまくって、ようやくラテン系の人の数分の1ぐらいだと思っているのに。悲観的な話をしたがる人は、それで周囲がどんな気持になるか、そういう話をする自分が人からどう思われるかを真剣に考えて欲しい。他人にも自分にも何の得にもならないとわかるはずだ。
ラテン系のテンションというのは、沖縄やベトナムで感じたのだが、「無一文になっちゃった、アッハッハ~!」と「本気」で笑えるテンションである。日本人は終身雇用、年功序列に毒されすぎて、少々資産が減るぐらいで悲観的になりすぎだ。無一文、無職、何が怖いのか。妻子がいたって無一文をおそれてはいけない。終戦直後の日本人は精神的に解放されて確実にテンションが高かったはずだ。あの元気を思い出せ。だいたい、何か事件や事故があったからって、無関係な自分まで暗くなってどうする。それで「日本は悪い方向になっている」なんて。アメリカなんてあれだけ問題を抱えているけど、アメリカ人は漠然と「世の中は良い方に向かっている」と考えている。私もそうだと思う。確かに今でも世の中にはいろいろな不幸があるが、それでも今ほど人権が尊重された時代はない。もちろん、今後はもっともっと良くなっていく。地球環境問題だって、もっと科学技術が発達して、いい解決法が見つかるかもしれないじゃないか。「人類は終わりだ」なんて、子どもたちにも科学者にも失礼な話だ。謝りなさい。
大阪のテンションも素晴らしい。「おたくさんの商品、ウチはいりまへんわ。ワッハッハ~!」と言われると、買ってくれなくてもこっちも精神的には悪い気はしない。これが東京者だと「でもこれ使えないでしょ、ブツブツ…」とネチネチいやみをいってこちらを不快にしたあげく、結局買ってくれない。私はサラリーマンになって自覚しているのは、絶対に人前ではテンションを下げず、常に絶好調でいよう、エンターテイナーに徹しようということだ。お笑い芸人と同じである。それで、私に出会った周囲の人たちを幸せにしなければ、生きている甲斐はない。できることなら私はそれを相手にも要求する。みんなでテンションを上げて上げて、楽しく元気にラテン系に生きていけば、もっと社会は面白く楽しく明るくなるはずだ。日本よりずっと経済状況も社会状況も悪い国も、行って見ると子どもは明るいし、商売をしているおばちゃんは元気でたくましいし、若者は自分の力で国を発展させるんだという希望に満ちている。
村上龍の『希望の国のエグゾダス』に、「この国には何でもある。だが、希望だけがない」というセリフがある。私はこうした悲観論者に自信を持って言える。
「希望がないのは、お前だけだ」
筑紫哲也の『ニュース23』も、こうした論調が大好きだった。とにかく日本人は悲観論が大好きで、外交問題でも教育問題でも格差社会でも食の安全でも不安をあおるような話ばかりするが、それで状況が改善するとでも? 特に教育に関してだが、「最近の子どもは」といわれて最近の子どもが面白いはずはない。彼らだって夢をもってがんばっているのに、「最近の子どもの顔を見ると、みな元気を失って生気がない」なんて、元気を失って生気がないのは、オマエだけだ! 「アフリカの貧しい子どもたちには、豊かな日本にはない目の輝きがあった」なんていって、日本の子どもに目の輝きがないとでも? オマエの目がふし穴なだけだ! はじめに悲観論ありきだから、物事が全部悪く見える。「日本人は劣化している」。劣化したのはオマエだけだ!
日本を悪くしているものがあるとすれば、政治家でもマスコミでもお金持ちでもなく、私たち一人ひとりの悲観論である。我々一人ひとりがテンションを上げて元気にラテン系になれば、貧乏でも楽しい国家が実現する。「日本は貧しいが国民は明るい」と言われればむしろ本望だ。選挙の1票と同じように、1人が、少しずつ、前向きに行動し、まずは周囲を明るく楽しく変えていけば、いずれは日本中、世界中が元気になる。いくら福田総理がアホでも、ニュースにならない仕事をちゃんと膨大に無難にこなしているのだから、そこは褒めてあげないと。そしてダメなときは選挙で引導を渡せばいいだけだ。
この年になると周囲の人間が出産して赤ん坊を見る機会が増えるが、赤ちゃんの笑い顔を見ていると、どうしてこれが将来「子どもに元気がない」「渋谷の女子高生は」「ゆとり世代が」「今年の新入生は学力が低い」などとレッテルを貼られるのかが分からない。赤ちゃんはみんな天才じゃないか! オツムだけではない。赤ちゃんは「他人を幸福にする天才」である。最高の芸人だ。みんなポジティブに生きる力を赤ちゃんに学べ! 少子化だなんだ騒いだって、こんな悲観論に満ちた「自称、未来のない日本」を赤ちゃんに手渡すなんて失礼なことは私にはできないね。「君が生まれてきたこの世界は、悪いこともあるが素晴らしい希望に満ちている」とちゃんと伝えたい。「そして君には無限の可能性があるんだ」と。悲観論に飲み込まれてはいけない。それは今すぐ捨てるんだ。
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人生でうまくいかないことや不都合は誰にでもあるが、それを明るくほがらかに乗り越えていくか、うじうじ悩んでいるかで、自分自身の心も変わるが、もっと大きいのは、周囲にそれが伝わることである。
「俺なんかダメだ」「私なんか…」「ウチの会社なんか…」という話をしてくる人がいるが、そういう人はこっちのテンションが下がってくることを自覚しているのだろうか、私だってテンションは上げて上げて上げまくって、ようやくラテン系の人の数分の1ぐらいだと思っているのに。悲観的な話をしたがる人は、それで周囲がどんな気持になるか、そういう話をする自分が人からどう思われるかを真剣に考えて欲しい。他人にも自分にも何の得にもならないとわかるはずだ。
ラテン系のテンションというのは、沖縄やベトナムで感じたのだが、「無一文になっちゃった、アッハッハ~!」と「本気」で笑えるテンションである。日本人は終身雇用、年功序列に毒されすぎて、少々資産が減るぐらいで悲観的になりすぎだ。無一文、無職、何が怖いのか。妻子がいたって無一文をおそれてはいけない。終戦直後の日本人は精神的に解放されて確実にテンションが高かったはずだ。あの元気を思い出せ。だいたい、何か事件や事故があったからって、無関係な自分まで暗くなってどうする。それで「日本は悪い方向になっている」なんて。アメリカなんてあれだけ問題を抱えているけど、アメリカ人は漠然と「世の中は良い方に向かっている」と考えている。私もそうだと思う。確かに今でも世の中にはいろいろな不幸があるが、それでも今ほど人権が尊重された時代はない。もちろん、今後はもっともっと良くなっていく。地球環境問題だって、もっと科学技術が発達して、いい解決法が見つかるかもしれないじゃないか。「人類は終わりだ」なんて、子どもたちにも科学者にも失礼な話だ。謝りなさい。
大阪のテンションも素晴らしい。「おたくさんの商品、ウチはいりまへんわ。ワッハッハ~!」と言われると、買ってくれなくてもこっちも精神的には悪い気はしない。これが東京者だと「でもこれ使えないでしょ、ブツブツ…」とネチネチいやみをいってこちらを不快にしたあげく、結局買ってくれない。私はサラリーマンになって自覚しているのは、絶対に人前ではテンションを下げず、常に絶好調でいよう、エンターテイナーに徹しようということだ。お笑い芸人と同じである。それで、私に出会った周囲の人たちを幸せにしなければ、生きている甲斐はない。できることなら私はそれを相手にも要求する。みんなでテンションを上げて上げて、楽しく元気にラテン系に生きていけば、もっと社会は面白く楽しく明るくなるはずだ。日本よりずっと経済状況も社会状況も悪い国も、行って見ると子どもは明るいし、商売をしているおばちゃんは元気でたくましいし、若者は自分の力で国を発展させるんだという希望に満ちている。
村上龍の『希望の国のエグゾダス』に、「この国には何でもある。だが、希望だけがない」というセリフがある。私はこうした悲観論者に自信を持って言える。
「希望がないのは、お前だけだ」
筑紫哲也の『ニュース23』も、こうした論調が大好きだった。とにかく日本人は悲観論が大好きで、外交問題でも教育問題でも格差社会でも食の安全でも不安をあおるような話ばかりするが、それで状況が改善するとでも? 特に教育に関してだが、「最近の子どもは」といわれて最近の子どもが面白いはずはない。彼らだって夢をもってがんばっているのに、「最近の子どもの顔を見ると、みな元気を失って生気がない」なんて、元気を失って生気がないのは、オマエだけだ! 「アフリカの貧しい子どもたちには、豊かな日本にはない目の輝きがあった」なんていって、日本の子どもに目の輝きがないとでも? オマエの目がふし穴なだけだ! はじめに悲観論ありきだから、物事が全部悪く見える。「日本人は劣化している」。劣化したのはオマエだけだ!
日本を悪くしているものがあるとすれば、政治家でもマスコミでもお金持ちでもなく、私たち一人ひとりの悲観論である。我々一人ひとりがテンションを上げて元気にラテン系になれば、貧乏でも楽しい国家が実現する。「日本は貧しいが国民は明るい」と言われればむしろ本望だ。選挙の1票と同じように、1人が、少しずつ、前向きに行動し、まずは周囲を明るく楽しく変えていけば、いずれは日本中、世界中が元気になる。いくら福田総理がアホでも、ニュースにならない仕事をちゃんと膨大に無難にこなしているのだから、そこは褒めてあげないと。そしてダメなときは選挙で引導を渡せばいいだけだ。
この年になると周囲の人間が出産して赤ん坊を見る機会が増えるが、赤ちゃんの笑い顔を見ていると、どうしてこれが将来「子どもに元気がない」「渋谷の女子高生は」「ゆとり世代が」「今年の新入生は学力が低い」などとレッテルを貼られるのかが分からない。赤ちゃんはみんな天才じゃないか! オツムだけではない。赤ちゃんは「他人を幸福にする天才」である。最高の芸人だ。みんなポジティブに生きる力を赤ちゃんに学べ! 少子化だなんだ騒いだって、こんな悲観論に満ちた「自称、未来のない日本」を赤ちゃんに手渡すなんて失礼なことは私にはできないね。「君が生まれてきたこの世界は、悪いこともあるが素晴らしい希望に満ちている」とちゃんと伝えたい。「そして君には無限の可能性があるんだ」と。悲観論に飲み込まれてはいけない。それは今すぐ捨てるんだ。
by tyamauch
| 2008-05-28 05:12

