『ベルナルドの足跡』 ③コインブラ大学 |
コインブラの街並み。山の上の大きな建物群がコインブラ大学
リスボン・オリエンテ駅を発車した急行列車は、時速150キロぐらいで快適に走っていく。最初のころはテージョ川や赤い瓦屋根の家々、放牧されている牛の姿、咲き誇るひまわり畑などに目を奪われていたが、しだいに単調な景色に退屈しだした。アズレージョ(装飾タイル)の美しい駅や、聖母マリア降臨の奇跡で知られるファティマなどに立ち寄り、約2時間でコインブラCoimbraに到着。急行列車は郊外のコインブラB駅に着き、市内までは別の路線に乗り換えるのだが、何の案内もなく迷ってしまい、駅員に聞いてなんとかお目当ての電車に乗ることができた。このあたり海外の鉄道は実に不親切である。
右手にモンデゴ川Rio Mondegoが見えてきて、5分ほどで市街地のコインブラ駅に到着した。駅の時計はまったく違う時間で止まっている。雲ひとつ無い晴天で、湿気が無いので日本よりは暑くないのだが、日差しは強い。駅前からポルタジェン広場Largo da Portagemまで歩き、おみやげ物屋が続くにぎやかな通りに入った。異国情緒がある反面、軽井沢や清里のようなハリボテ欧風観光地のような気もして、いまいち感動が無い。ここからループ状に坂道を登っていき、お目当てのコインブラ大学Universidade de Coimbraを目指す。
コインブラは人口15万人と決して大きな町ではないのだが、ポルトガル第3の都市である。コインブラ大学は1290年にリスボンに誕生し1308年にコインブラに移転してきたもので、ポルトガル王ディニス1世によって設立された。1911年にリスボン大学ができるまではポルトガルを代表する大学であった。その地位の高さは今も変わらず、ヨーロッパの39大学の連盟「コインブラ・グループ」の由来ともなっている。パリ大学、ボローニャ大学、サラマンカ大学(スペイン)に匹敵するヨーロッパ最古の大学で、学生数は23,000人、8学部を擁し、それぞれが学部のシンボルカラーを持っている。学生は黒マントに身を包み、シンボルカラーのリボンをするのだが、現在ではそうした格好は卒業式だけのようだ。
文学部Letras ダークブルー
法学部Direito 赤
医学部Medicina 黄色
理工学部Ciencias e Tecnologia 水色
薬学部Farmacia パープル
経済学部Economia 赤と白
心理・教育学部Psicologia e Ciencias da Educasao オレンジ
スポーツ科学・物理学部Ciencias do Desporto e Educasao Fisica ブラウン
丘の上の大学に到着した。日本の大学とそれほど違わない古ぼけたビルの校舎に入ると、汚れたコンクリートの冷たい印象の廊下のイスに座り込んで、学生が必死に医学や物理学の本を読んでいる。Barと書かれた看板を発見し、5階に行ってみると学食だった。学食といっても、パンや洋菓子、ジュース、コーヒー、スープなどの軽食があるだけだが、高いところにあるので見晴らしは良い。窓の外には、真っ白な新カテドラルSe Novaがそびえている。1598年に建立されたもので、バロック様式のファサードが美しい。
新カテドラル
この新カテドラルに、鹿児島のベルナルドという日本人が眠っている。ザビエルから洗礼を受けた初めての日本人で、日本人で初めてヨーロッパに足を運び、ローマ教皇に会った人物であり、日本人初のヨーロッパ留学生でもあった。日本からの長旅で体調を崩した彼は1557年に亡くなったと伝えられている。今回私がポルトガル、そしてコインブラを訪れたのは、大学研究家としていわば大先輩であるこの日本名の残っていない日本人の足跡をたどるためであった。
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