ハーバード大学とイギリス |

ジョン・ハーバード像
ハーバード大学は、正確にはボストンではなく、隣のケンブリッジという人口10万人ほどの小さな町にある。この町の名は、イギリスのケンブリッジにあやかって1638年に付けられた。その2年前に、全米最初の大学としてハーバード大学が開学しており、当時まだ国家ですらないアメリカで、本場イギリスのケンブリッジ大学を仰ぎ見て名付けられたものと思われる。
地下鉄のハーバード駅から地上に出ると、道路のロータリーを囲んで赤レンガ風の低層ビルの街並みが続き、賑やかな商店街となっている。ここから歩いて1分ほどで、すぐにハーバード大学の正門に着く。赤レンガでできた小さな門で、予想していたような威圧感のある壮大な雰囲気ではなかった。さっそくキャンパスに足を踏み入れる。
ここは、ハーバードヤード(オールドヤードとも)と呼ばれる、ハーバード大学で最も古いキャンパスだ。マサチューセッツホール(1720年)、ハーバードホール(1766年)などの3・4階建ての古い校舎が、美しい芝生の林の中にたたずんでいる。正門の正面、ユニバーシティーホール(1815年、ワシントンDCアメリカ合衆国連邦議会議事堂と同じブルフィンチ設計)の前にあるのが、ジョン・ハーバードの銅像だ。そう、ハーバード大学は人名に由来するのである。
ハーバード大学にあるハーバード像というからには、当然大学内でも有数の観光名所である。中国人パックツアーの一団がぞろぞろやってきていて、皆が皆、像の左足をこすっていった。この左足は、触れると幸運が訪れるとか、もう一度ハーバードに来ることができるなどと言われ、みんながこするので、金色に光っている。
ところでこの像は、とんでもない嘘つき像で、「3つのウソ」があるといわれている。まず、創立1638年と彫ってあるが、これは1636年の誤りだ。次に、「創立者ハーバード」と彫ってあるがこれも誤りで、ハーバードは寄贈者の1人である。最後に、精悍な顔つきは、1884年に像を制作した時にイケメン学生をモデルにしたもので、ハーバード本人とは何の関係もない。ここまでインチキにも関わらず、尊重されているのだから、最高のアメリカンジョークだ。

落ち着いた雰囲気のキャンパス
固有名詞の入った古い校舎群が、広い芝生を囲んで静かに、おごそかにたたずんでいる。ハーバードヤードは、気持ちとしては早稲田大学の本部キャンパスや、慶應義塾の三田キャンパスほどの広さでしかない。
これが、本当に7人もの米国大統領と40人ものノーベル賞受賞者を輩出し、1530万冊の蔵書(全米2位、世界4位)と東京大学の300倍以上の資金を持つ化け物のような大学なのだろうか。あまりにも落ち着いたたたずまいで、余裕すら感じさせる。キャンパス内はリスが走り回っており、のどかな雰囲気で、散策する学生や観光客を眺めていると、とても2万人の学生がいる大学には見えず、まるで小規模なリベラルアーツカレッジに迷い込んだかと見まがうほどだ。実際、学生の2/3は大学院生で、学部教育は全寮制。少人数で熱い友情を育んでいると聞く。
私がイギリスのケンブリッジ大学で見たような、圧倒的なキャンパスの美しさは感じなかったが、内面の美のような、にじみ出る実力、パワーのようなものが、じわじわとキャンパスから湧き出しているような気がした。本場イギリスのケンブリッジにあこがれて誕生したハーバード大学が、400年近い時を経て、父親を凌駕していくというロマンを感じさせる。
おそらくイギリスとアメリカというのは、息子が父親を乗り越えていく関係の国同士なのだろう。これがとんでもない息子で、ついに親父の思い通りには育たず、もはや自立して勝手にやっており、親父をはるかに乗り越えている。まるで織田信長とその父の関係のようだ。だが、私は子供たるもの、親の意思を超え、親を乗り越えてこそ子供だと思っている。
坂本竜馬も福澤諭吉も、父親は名もなき下級武士で、まさか自分の息子がこんな風に育つとは思わなかったに違いない。世界を変えていく力を持つ人間は、親の意図をはるかに大きく超えて、自分で成長していく。
「東大脳のつくりかた」「我が子を名門中学に入れる」などという企画に飛びつくような親というのは、自分の想像の範囲内で子供の成長を考えており、実に視野が狭い。外資系に入れれば、公務員になれればなんていうのは、幕府の偉い役人になれれば、というのと同レベルだ。本当の逸材は、自分の力で、行動力と創造性を発揮し、親の想像の何倍も何十倍も活躍していく。それがアメリカとイギリスの関係なのだと思った。
ハーバード大学は、まさにアメリカの歴史そのものであり、魂であり、しかも最先端であり続けている。これが世界のトップランナーの姿だ。
つづく
